渡辺大輔のデパート放浪記 - ペンを捨てよ、街へ出よう - (第8回 岐阜その2)

 軒先で寝そべるワラビに、つい足を止めてしまった。

 タカシマヤの巡回が終わった後、近くをぶらついていた時のことだ。とある食料品店に注意を引かれた。売り場は数人も入れば窮屈になりそうなこぢんまりとしたもので、棚の商品も決して豊富ではない。だが通りにせり出すように並べられた野菜や総菜が、妙に視線を奪う色彩を放っている。その中に「今日のおすすめ」と書かれた札と横たわるワラビの束を見つけた。

「そうか、5月だ」

 私は独りつぶやきながら、頭にはほどよく泡の立ったビールを思い浮かべていた。アク抜きは済んでいるらしいが、一本そのままの長さでは食べづらいか。

 奥のレジに70代前半くらいの女性が立っている。ワラビを切ってもらえるか尋ねるとやや不思議そうな顔をしたので、ホテルに泊まっているのだと理由を話した。

「じゃあ簡単に醤油漬けにしてあげようか」

 厚意に甘えて礼を言う。女性が調理場への引き戸を開けると、入れ替わりで額にしわを刻んだ男性が出てきた。この店は夫婦で営んでいるのだろう。先ほどのやりとりを聞いていたからか、客の顔を全て把握しているからなのか、店主は「どちらから?」とにこやかに話し掛けてきた。

「山形は2020年にデパートがなくなってしまったので」

 いきさつを聞きながら、店主は共感するようにうなずいていた。山形の街はどんな様子かと質問されたので、人通りは寂しいと答える。それはデパート閉店の前からだと付け加えた。私の言葉はその瞬間、これまで見てきた柳ヶ瀬の風景と重なっていった。

 アーケード内の劇場通りには赤じゅうたんの敷かれた区画がある。そこに玄関を構えるのが岐阜タカシマヤだ。売り場は地下1階、地上11階と、先に訪ねた郡山のうすい百貨店よりも高層だが、入ってみるとフロアはうすいと比べて狭く、天井も低い。外観がアーケードの屋根に隠れてしまっているのも相まってか、デパートとしての迫力はやや欠ける印象だった。

 地下の食料品売り場にはある程度の買い物客が居て、地上階では書店が人を集めている。その点もうすいと似ていた。岐阜タカシマヤにまつわる年表や、かつての柳ヶ瀬の写真が展示されているフロアもあり、閉店への準備が進んでいるのが分かる。ただ5月中旬の時点では、別れの感傷がにぎわいを呼ぶには至っていなかった。

 再び玄関に戻る。赤じゅうたんを行き交う人の姿はやはりまばらだった。

「人と人とがすれ違えないって時もあったんだから」

 食料品店の店主が懐かしむような目をした。

 タカシマヤが開店した昭和50年代、柳ヶ瀬では言葉通り人が肩をぶつけながら歩いていたという。特に夜の活気はすさまじかったそうだ。

「昼の店が3割、夜の店が7割。そんな感じだったな」

 何軒ものキャバレーがネオンを輝かせ、着飾るホステスが客を誘った。彼女たちは衣装をデパートで選び、客たちは贈り物をデパートで選ぶ。そういった繁栄の構造があったはずだと店主は分析してみせた。

「県の職員が接待でバンバンお金を使ってた。前に問題になったけど、裏金みたいなものもあったからね、昔は」

 当時は柳ヶ瀬に車で乗り付けて、酒を楽しみ、車で帰るのが当たり前だったという。山形でも昭和のころには、酒を飲んで運転しているところを警官に見つかっても、キャバレーで遊んできたと説明すると「じゃあ仕方ない」と見逃してくれたなどという話を聞いたことがある。

「どれも今はあっちゃいけないことだよ。でもね、それが街を潤してたって側面もあるわけだ」

 引き戸が開いて、夫婦の姿がそろう。恐縮しながらワラビを受け取って頭を下げた。もう少し街の話を聞きたいが、夜の店について続けるのはまずい気がした。

「やっぱり、名古屋が近いのも影響していますか」 

 ありきたりな質問だったが、事実でもある。夫婦は何度かうなずいて、動ける人は都会に流れるのが当然だと答えた。電車でわずか20分、買い物をするにも飲み食いをするにもおびただしい選択肢が備わっているのだから、柳ヶ瀬にとどまれと言う方が無茶なのだろう。

 背後で声がする。常連客がやって来たらしい。商売のじゃまになりたくはないので去ろうとすると、呼び止めるように店主が発した。

「ちょっと前までは、まだ良かった」

 後ろに引いた足を元の位置に戻し、私は店主の次の言葉を待った。

「とどめを刺したのは、国体だよ」

 店主は笑顔のまま、長いため息をついた。