日本の百貨店のあゆみ 4 ~松坂屋百貨店

創業から400年以上の歴史を誇る老舗百貨店

呉服小間物商「いとう呉服店」からの出発

1611年 織田信長に仕えた伊藤蘭丸祐広の子、伊藤蘭丸祐道が名古屋本町に呉服小間物問屋「いとう呉服店」を開業。その後の、1615年大阪夏の陣(豊臣方)で伊藤蘭丸祐道が消息を絶つ。呉服店は閉店となる。

1659年 祐道の子、祐基が名古屋茶屋町に呉服小間物問屋を再開し、伊藤次郎左衞門を名乗る。

1707年 太田利兵衛、上野松坂屋を創設

1736年 いとう呉服店は、呉服問屋から呉服太物小売商へと転業し、正札販売を始める。徳川家の呉服御用達になる。

1740年 尾張藩の呉服御用となる

1745年 京都室町姉小路に仕入れ店開設。(1749年新町(現在地)へ新築移転)

東海地方を拠点に、江戸・大阪への進出

1768年 上野広小路の松坂屋を買収し、「いとう松坂屋」として開業。

1772年 上野店が新築落成。開店売出しを開催

1805年 江戸大伝馬町に木綿問屋 亀店(かめだな)を開設し、「いとう松坂屋」を鶴店と改称。

1834年 商号を「伊藤屋」から「いとう」へ変更

1854年 当主治朗左右衛門の婚礼の祝儀曲として、吉沢検校により、地歌曲の『花の縁』が作曲される。

1855年 安政大地震で上野店全焼。

1856年 名古屋車町に木綿問屋松店を開設

1875年 大阪へ進出。「恵比須屋」を買収して「ゑびす屋いとう呉服店」を開店 

1881年 名古屋に伊藤銀行(現三菱UFJ)を開業する。

1883年 伊藤銀行、東京支店開設(大伝馬町)

1893年 上野店、電話を新設。上野店、ガス灯を点灯

1900年 商号を「いとう」から「いとう呉服店」へ変更

1905年 松店(名古屋)を本店鶴店を東京支店とする

1907年 上野店を洋風建築に。「合資会社松坂屋いとう呉服店」に改組する。江戸時代化から続いた座売りを陳列式立売りに改め、呉服に加えて雑貨や家庭用品などの販売を開始した。女性社員を初めて採用する。

百貨店の時代へ(時代に先駆けた革新的な経営)

1910年 伊藤祐民が「株式会社いとう呉服店」を設立。名古屋本店(茶屋町)300年記念大売出し。名古屋市栄町に新店舗開業。デパートメントストア「いとう呉服店」開店披露広告を掲載。大売り出しの際、約4万の集客があり大盛況となる。百貨店初の多目的ホール設立

1911年 いとう呉服店少年音楽隊を結成。(現在の東京フィルハーモニー交響楽団)

1916年 上野店に洋風4階建ての新本館が竣工。帝都の名建築の一つに数えられた

1917年 名古屋店、上野店に配達自動車を装備

1918年 デパート業界初の制服を制定(縞の木綿にモスリンの帯という和服スタイル)

1919年 五服会(松坂屋、三越、白木屋、松屋、高島屋)結成

1923年 関東大震災により上野店が全焼

1924年 銀座店が開店(現銀座シックス)全館土足入場を実施する。銀座支店開店あいさつの10万軒戸別訪問する。五服会が日本百貨店協会(加盟8社)に改称

松坂屋へ屋号統一(発展と安定の時代へ)

1925年 各店の屋号を「松坂屋」に統一

1929年 松栄食品(株)を設立。ルネサンス風の荘厳華麗な建築物、上野店新本館を現在地に再建。デパート業界初のエレベーターガールが上野店に登場。

1930年 地下鉄銀座線上野広小路駅と上野店の地下売場が直結。屋上にお好み食堂(百貨店初)、児童遊戯場を新設(銀座営業部)

1932年 静岡店開店

1933年 伊藤松之助社長就任。銀座店開店10周年記念大売出しを行う。宣伝に飛行機を使用する。

1936年 名古屋店に結婚式場、美容室などの「松坂倶楽部」設置。名古屋店に日本初の名店街を開設。

1945年 空襲により上野店、大阪店、名古屋店、銀座店、静岡店が類焼

1948年 日本デパートメントストア協会(1956年日本百貨店協会に改称)発足

1951年 各店にて創業340年記念大売出し。テーマミュージックが誕生(芥川也寸志作曲)

1957年 シンボルマークをカトレヤに制定。染織参考館を京都に設置。自動車販売開始(名古屋店)

1959年 「松坂屋のうた」(三木鵜郎作詞作曲)誕生

1961年 ニナ・リッチと独占契約。創業350年記念催事、各店で実施

1963年 銀座店に日本初のエレベーター式のパーキングビルを建設

1964年 イギリスの大手紳士服テイラーヘンリー・プール社と提携を結ぶ。松坂屋のCMソング「振り向けば松坂屋」(作詞 永六輔、作曲 中村八大)が誕生。オリンピック選手村に衣料品や土産ものを販売する売店を出店(銀座店)

1965年 松坂屋提供「カトレヤミュージック」(CBC)放送開始(~2008.3.30)。店名文字matsuzakayaを追加

1966年 大阪店、天満橋移転開店

1967年 伊藤鈴三郎社長就任。屋上ビヤガーデン開設(大阪店)

1971年 上野店本館・南館の屋上にブリッジ開通。岡崎店開店

1972年 銀座店別館を増築し、地下鉄銀座駅との地下連絡通路が開通。(株)中部松坂屋ストア及び(株)関東松坂屋ストア(2000年 両者は合併し(株)松坂屋ストアとなる)を設立。松坂屋と大丸との間で阪神地区の共同配送開始

1973年 日本リフェクス(株)を設立。松坂屋友の会が発足

1975年 香港松坂屋完成

1976年 伊藤鈴三郎社長、日本百貨店協会17代会長に就任

1977年 市川店開店。横浜松坂屋、増床開店。

1978年 ギンザ・カルチャースクール開設(銀座店)

1979年 高槻店開店。(株)イトーヨーカドーと(株)札幌松坂屋について業務提携

1980年 伊藤洋太郎社長就任。ロサンゼルス松坂屋開店

1981年 香港松坂屋クインズウェイ店開店。名古屋店、年間(暦年)売上高1千億円突破(中部地区初)

松坂屋お家騒動

1985年 16代伊藤次郎左衛門会長の死去により、副社長から会長に就任した鈴木正雄が、3ヶ月後に松坂屋本店で開かれた臨時取締役会で、創業者一族の当時の17代伊藤次郎左衞門社長を会長に退かせて社長に就任した。370年余りの歴史の中で創業家以外で初の社長が誕生した。松坂屋お家騒動と言われる

1991年 斎藤喜幸社長就任。鈴木正雄再度会長に就任。銀座店、新装グランドオープン。四日市店開店

1993年 新社長に伊藤旺就任。鈴木正雄会長は、取締役相談役に退いた。

1994年 香港松坂屋クインズウエイ店閉店。1995年 サンフランシスコ松坂屋閉店。

1997年 松坂屋商法違反事件(総会屋への利益供与)鈴木正雄相談役辞任。新社長に吉岡基次就任

1998年 香港松坂屋コーズウェイベイ店閉店 1999年 市川店閉店。岡田邦彦社長就任

2000年 中部松坂屋ストアと関東松坂屋ストア合併、新「松坂屋ストア」設立。(株)山形松坂屋閉店。ロサンゼルス松坂屋閉店。2001年四日市店閉店。豊田店開店

2004年 くずは店閉店。大阪店閉店。2005年 パリ松坂屋閉店

大丸松坂屋百貨店の誕生(大丸との統合へ)

2006年 新社長に茶村俊一、新会長に岡田邦彦就任。松坂屋ホールディングス設立

2007年 J.フロントリテイリング設立。大丸と経営統合。松坂屋会を解散する。

2008年 横浜松坂屋閉店 2010年 岡崎店閉店。

2010年 大丸を吸収合併し(株)大丸松坂屋百貨店がスタートする。山本良一大丸松坂屋百貨店社長に就任

2011年 松坂屋コレクション「慶長小袖」が国の重要文化財になる。

2013年6月 松坂屋銀座店が銀座地区再開発に伴い営業終了。好本達也社長に就任

2017年4月 松坂屋銀座店跡地にGINZA SIXオープン

2021年9月30日 豊田店閉店

2023年松坂屋店舗

名古屋店

上野店

静岡店

高槻店

参考:

大丸松坂屋百貨店

松坂屋上野250周年

(株)松坂屋『松坂屋百年史』

松坂屋の歴史|J.フロント リテイリング株式会社

歴代社長

大丸松坂屋百貨店公式サイト