日本の百貨店のあゆみ 1 ~ すべては三越から

デパートの誕生は「デパートメント宣言」から

「当店販売の商品は今後一層その種類を増加し、およそ衣服装飾に関する品目は 一棟御用弁相成り候 設備致し、結局 米国に行はるるデパートメント、ストアの一部を実現致すべく候」~デパート宣言より

1904年三井呉服店は、株式会社 三越呉服店を設立し、専務取締役・日比翁助(ひびおうすけ)がデパートの近代改革を推し進める中で「デパートメントストア宣言」をしました。1905年1月2日、主要各社の新聞広告に「デパートメントストア宣言」が掲載され、これが日本のデパート(百貨店)の誕生と言われています。

日本のデパート(百貨店)は、呉服屋から始まったところがほとんどでしたが、「デパートメントストア宣言」により。これまでの、呉服屋の販売方式「座売(来店客の要望により一つ一つの商品を出してみせる)」から来店客が自分の目で商品を見て選べる「陳列販売」が採用されるようになりました。アメリカのデパートメントストアに倣った、より多くの商品を揃えた業態へと変わっていったのです。

「三越」の始まり

1673年  伊勢商人、三井家の三井高利「越後屋」として創業。京都に呉服物仕入店開店

1676年 江戸本町2丁目に新店開店

1681年 このころ店章を「丸に井桁に三の文字〓[店章]」と定める

1683 年 江戸本町2店の焼失に伴い、本町から駿河町(現在地)に移転。両替店(現在の三井住友銀行)併設。「店前現銀掛け値なし」、「小裂いかほどにても売ります」のスローガンを掲げる。

世界初の正札販売(定価販売)を取り入れ、富裕層向けだった呉服を、一般市民向けに広めた。

1687年 幕府払方御納戸呉服御用を拝命する。江戸本銀町に江戸御用所を開設

1691年 大阪高麗橋一丁目に呉服店と両替店を開設

1710年 長崎に越後屋長崎方(長崎支店)開設

1836年 大塩平八郎の乱により、大阪本店襲撃され全焼する。1840年 大阪本店を修復し再開

1859年 横浜店開設するが、1862年 横浜店類焼。以後呉服商いを中止する

1870年 3都本店の称号を廃し、それぞれ東京呉服店、西京呉服店、大阪呉服店と改称する。

1872年 三井大元方から分離、三越家名義で経営。

1874年 東京呉服店新店舗完成(土蔵造り2階建)

1879年 西京呉服店を、東京呉服店、大阪呉服店の出張所とする

1893年9月7日 越後屋を「合名会社三井呉服店」に改組

1894年 大阪支店を高麗橋2丁目堺筋角に復帰

1895年 東京本店の2階全部を陳列場に改装

1903年 大阪支店閉鎖

デパートとしての誕生と革新的な運営

1904年12月6日 初代専務に日比翁助が就任。「デパートメントストア宣言」を行い、日本初の百貨店が誕生。イギリスのハロッズ百貨店を目標に洋服・靴・洋傘などの輸入品を次々に販売し百貨店としての幅を広げていった。

株式会社三越呉服店設立。 店章「井桁に三の文字」を「丸に越の文字」に改める。本店に我が国最初のショーウインドーを設置

1905年 日比翁助は、主要新聞や雑誌等の広告に「デパートメントストア宣言」を掲載。特に宣伝に力を入れ後の「今日は帝劇、明日は三越」は有名な広告コピーとなった。

1907年 大阪支店復活開店

1908年 日本橋通りに大ショーウインドー建設。三越少年音楽隊を編成

1909年 「メッセンジャーボーイ隊」を編成

1911年 三越少年音楽隊、管弦楽の試演を公開。「宮内省御用達」の名称を許可される。本店、大阪三越に「少年案内係」新設

1914年 三越呉服店本店(現在の日本橋三越店)ルネッサンス式5階建ての新店舗が落成。現在でも三越のシンボルであるライオン像も設置された。また、館内には日本初のエレベーター、エスカレーター、スプリンクラー、全館暖房を取り入れ建築物としても大きな注目を集めた。その後も、三越ホール(現、三越劇場)の開設や、日本初のファッションショーの開催など、常に時代を先取りする百貨店であった。

今井百貨店開店

1915年 野崎広太取締役社長に就任

1919年 東京呉服店(三越、松坂屋、白木屋、松屋、高島屋)首脳の懇親会「五服会」誕生

1923年 関東大震災発生(午前11時58分)、本店全焼。本店焼け跡にバラックを急造、三越マーケットを開店

1924年 東京・大阪・名古屋所在の百貨店(三越・白木屋・松坂屋・高島屋・松屋・大丸・十合)が合同し「百貨店協会」設立

1927年 本店修築落成開店

1928年6月1日「株式会社三越呉服店」の商号を「株式会社三越」へ改称。新宿店(1929年)、銀座店(1930年)など店舗が次々に開店

1930年 本店食堂に食堂を開設お子様洋食(後のお子様ランチ)が大人気となった。結婚式場の開設に続き遊園地開園1935年には本店が増築されパイプオルガンが設置される。そのどれもが人気を博し大きな集客につながることになり、百貨店が娯楽の場としても注目されるようになった。その一方で、女性社員の採用、美術館の開設など革新的な運営を行っていった。

1931年 高松店開店

1932年 本店、地下鉄「三越前」駅開業。札幌支店開店

1933年 仙台支店開店

1936年 九州初のターミナルデパートとして岩田屋百貨店開店(現在は株式会社岩田屋三越の運営)。「三越の歌」発表

1943年 岩瀬英一郎が社長就任

1944年 空襲により新宿支店の一部、銀座支店全館および中野軍服縫製工場焼失

1946年 松山支店開店

1947年 東京都、35区から22区への区制統合により店舗所在地が本店(日本橋区)と銀座支店(京橋区)は中央区、新宿支店(淀橋区)は新宿区となる

1951年  購入した商品を包装紙で包んで渡すことを始めるにあたり、現在も使用されている猪熊弦一郎デザインの紅白の包装紙「華ひらく」が誕生。紙袋の「三色」と同時に大好評となった。

1953年 札幌店開店20周年。本店・銀座・大阪・神戸の各店に冷房設備完成

1956年 本店の第1期増改築工事が完成、全国一の店舗になる。

1957年 池袋支店開店

1960年 新宿、銀座店、開店30周年全館メモリアルセール実施

1963年 岩瀬社長逝去。松田伊三雄が社長に就任

1968年 松田社長、日本百貨店協会会長就任。枚方店開店

1970年 沖縄三越開店

海外店開店と新三越の誕生

1971年には、海外での第一号店、パリ三越が開店。その後も、ローマ三越、、ロンドン三越、ニューヨーク三越、ハワイ三越の開店が続いた。また、この年、銀座店には、日本でのマクドナルド第一号店が開店。一畑百貨店(松江)と業務提携。近鉄百貨店(大阪)と業務提携

1972年 創立300年の年。岡田茂社長就任。おみやげ用包装紙使用開始

1973年 広島店開店。パリ三越2号店開店。横浜支店開店

1975年 ローマ三越開店

1979年 ロンドン三越開店

1980年 小林百貨店が新潟三越百貨店(現新潟三越伊勢丹(新潟三越))に社名変更。オリエンタル中村百貨店が名古屋三越百貨店(現名古屋三越栄店)に社名変更。倉敷店開店

1981年 サンシャインシティ三越(現サンシャインシティアルタ店)開店。フランクフルト三越開店

1982年 不祥事により岡田茂社長解任(三越事件)名古屋三越社長の市原晃が後任として就任。新聞広告に「お詫びとこれからの展開(三越の新しい誓い)」掲載

ディズニーワールド三越(現オーランド三越)開店

1984年 ニューナラヤが千葉三越百貨店(現千葉店、2017.3 閉店)に、丸屋が鹿児島三越(2009.5 閉店)に社名変更。株式会社エム・テイ・エム設立。銀座店リニューアルグランドオープン。ハワイ三越新店舗開店(ハイアット・リージェントホテル1階、ヘメターセンター内)

1986年 坂倉芳明社長に就任

1988年 ミュンヘン三越開店(ドイツ三越3号店)。香港三越九竜店開店(香港三越2号店)

1992年 パリに「三越エトワール」がオープン(2011.3 閉館)

1994年 恵比寿店が恵比寿ガーデンプレイスの核商業施設として開店

1996年 三越ホームページ立ち上げ

1997年 ゴルフ場開発に伴い巨額の損失を出した社長の坂倉芳明氏が辞任。新しい社長に津田尚二が就任する。福岡三越開店

1999年 井上和雄氏社長就任

2000年 多摩センター店開店(2017.3 閉店)

2002年 中村胤夫氏社長就任。新潟アルタ店開店(2019.3 閉店)。札幌アルタ開店(2010.8 閉店)

2003年9月1日 三越、千葉三越、名古屋三越、福岡三越、鹿児島三越の5社による合併で、新しい株式会社三越が誕生する。

デパートメント宣言化から100年後の2004年には日本橋本店に新館が完成。「新・日本橋三越本店」オープン

2005年 三越大阪店閉店 石塚邦雄社長就任。名古屋専門館「ラシック店」開店。新宿店が「新宿アルコット店」として業態転換(2012.3 閉店)

2006年 武蔵村山店開店。

㈱三越伊勢丹ホールディングス設立で新しい時代へ

2008年 伊勢丹と共に三越伊勢丹ホールディングスを設立し、その子会社となる

2009年 ㈱函館丸井今井設立。㈱仙台三越、㈱名古屋三越、㈱広島三越、㈱高松三越、㈱松山三越設立

三越池袋店、三越鹿児島店営業終了。

2010年 伊勢丹吉祥寺店営業終了。㈱岩田屋三越設立

2011年 運営会社の三越が株式会社伊勢丹を吸収して「株式会社三越伊勢丹」となる

㈱三越伊勢丹設立、㈱札幌丸井三越設立。JR大阪三越伊勢丹オープン

2014年4月 ショッピングバックが「実り」へ移行。デザインは友禅作家重要無形文化財(人間国宝)森口邦彦氏。包装紙「華ひらく」は継続

2015年 丸井今井札幌本店・札幌三越リモデルグランドオープン。三越銀座店リモデルグランドオープン。

スマート・ライフ・マネジメント㈱現㈱三越伊勢丹ニッコウトラベル)を設立。

2016年 日本橋本店の建物が国の重要文化財に指定される

2017年3月 千葉三越店、三越多摩センター店が営業終了。千葉三越店閉店により直営店舗は、都内の日本橋本店、銀座三越の2店舗だけとなった

2019年 伊勢丹相模原店、伊勢丹府中店が閉店

2020年3月 新潟三越閉店

4月 新型コロナウイルス感染症防止のため緊急事態宣言が政府から発令される。㈱三越伊勢丹の百貨店店舗を4月8日から5月29日まで、臨時休業。5月グループ百貨店全店舗で営業を再開。松山三越に「デジタルサロン」オープン

2021年2月 三越恵比寿店営業終了、三越伊勢丹のサステナビリティ活動開始 12月松山三越リニューアルグランドオープン

2021年10月 ローマ三越店閉店

2022年 三越銀座店に 「アートアクアリウム美術館 GINZA」オープン

2023年7月 フィリピン・マニラ 「あMITSUKOSHI BGC」が グランドオープン

現在の三越店舗

  • 日本橋三越本店
  • 銀座三越
  • 札幌三越
  • 仙台三越
  • 名古屋栄三越
  • 星ヶ丘三越
  • 広島三越
  • 高松三越
  • 松山三越
  • 福岡三越
  • 海外店 オーランド三越、新光三越(台湾)、マニラ

三越伊勢丹ホールディングスhttps://www.imhds.co.jp/ja/business/history/history.html

参考:三井広報委員会

渋沢社史データベース (株)三越『株式会社三越85年の記録』(1990.02)

三越ウィキペディア(Wikipedia)参照

(株)三越『株式会社三越85年の記録』