渡辺大輔のデパート放浪記 – ペンを捨てよ、街へ出よう – (第2回)

 父の放つ駄じゃれを鼻息だけであしらっていた。そうなったのは中学に入学した辺りからか。
夕食時に母が「ソース出すから」と言うと、父は「ソーッスか」などと反応する。居間はたちまち静寂に包まれ、家族の鼻息とため息だけがかすかに響くわけだ。
43歳の今振り返ると、そのばかばかしさについ頰が緩んでしまう。せめて父がこの世を旅立つ前に、笑い声の一つでも聞かせてやればよかったか。ともかく、身近な相手だからこそ素直に接することができないという経験は、多くの人に共通するのではないか。

 相手が「土地」でもそうだ。故郷を映す視界は、きっと個人的な思い出や偏見によってゆがめられているのだろう。

ー デパートと街との関係を正しく観察する。

 この旅を始めるに当たって、視界のゆがみは矯正しておくべきだ。何せ山形は、全国初の「百貨店ゼロ県」なのだ。

 春のにおいが鼻をかすめる夕刻、山形市の中心街・七日町を歩いた。平日だからか人通りはまばらだ。とはいえガラス越しに満席だと分かる飲食店もちらほらある。とりあえず街に出てぶらつくというよりも、あらかじめ決めた店に直行という人が多いのかもしれない。

 廃墟の前に立つ。大沼デパートだった建物だ。何年も下りたままのシャッターは、最近になって装いを変えた。大沼跡を含めた再開発計画が描かれたのだ。

「歩くほど幸せになるまち」

 それが基本方針らしい。店やオフィス、教育や医療など暮らしを満足させる機能を集積し、住みやすい空間を目指すということだ。

 健全な未来図だ。デパートに代わる街の起爆剤を期待してしまいがちだが、これが山形の結論なのだろう。確かに今は高齢ドライバーの事故も、雪下ろし中の転落死も絶えない。便利な街中のマンションに住めば、それらの心配が減るわけだ。

 いずれ私自身もそんな環境を欲する時が来るのだろう。そう考えながら、シャッターを離れた。

 大通りを曲がり、細い道を選んで進むと、時間を逆行したように街並みが古めかしくなってゆく。風に揺れるのれんの前で足が止まった。経年を隠さない、こぢんまりとした居酒屋だ。

ー 常連客のたまり場だろうな。

 一見は肩身が狭そうだと感じるが、これもゆがみだと思い直した。80歳前後だろうか。着物姿の女将がおしぼりを手渡してくれた。調理場では白髪の板前が黙々と包丁を扱っている。夫婦で営んでいるらしい。

 カウンター席の端に通された。先客2人が女将と世間話をしながら飲んでいる。だが彼らは間もなく会計を済ませ、客は私だけになった。

 お通しに出された「ふきのとうの煮びたし」がえらくうまい。食材のほろ苦さと煮汁の甘みが絶妙な組み合わせで、生ビールが半分ほど残っていたが、熱燗の注文をがまんできなかった。目の前には他にもいくつか山菜が並んでいる。それらを天ぷらにしてもらった。

 話好きな女将だった。のれんを掛けて50年になるという。いろいろ見てきたのでしょうと振ってみると、喜んで語ってくれた。

 街にキャバレーがあった昭和はやはり景気が良く、役人による接待も界隈を潤わせたそうだ。だが世間からの風当たりが強くなると、彼らは夜の明かりを避けだす。「店で飲んだことにしておいて」 ある役人が数十万の金を払いに来たという。引き換えに何枚かの領収書を渡す。接待は控えるが、金を使わなければならない。彼らにもそんな事情があったらしい。

 小上がり席では大学生の集団が、じゃんけんに負けた者を後ろから羽交い締めにして酒を飲ませていた。大物ヤクザの葬式があった日には、街が参列者たちで埋め尽くされた。懐かしそうに笑う女将の表情から、それも昔はにぎわいの一つだったのだろうと察した。

 デパートの話が出た。
「爬虫類が大好きで、でっかいのを初めて生で見たのは大沼の催事でだったね」

 新しい体験はいつもデパートが連れてきたという。

 ある時、七日町の松坂屋でピーター(池畑慎之介)のディナーショーが催されたそうだ。食堂を模様替えした会場に、女将も客として出掛けた。歌は素晴らしかった。ただし最前席に陣取った地元の資産家が、ずっと両足をテーブルに乗せていたのが気に入らなかったという。

「あの人はどこでもそう」

 憎らしげに吐き捨てる女将に相槌を打ちながら、私はそのゴツゴツした時代にひどく興奮していた。

 礼を言って店を出る。表通りは静かなままだった。

ー 歩くほど幸せになるまち。

 山形の夜は、その日が来るのを待つことになった。

 他の街はどうだろう。

 私は次の行き先を福島県に決めた。