英雄たちの経営力 第11回 大久保利通 その4

(承前)

 そして十二月、王政復古の大号令が下された。この時、春嶽と容堂が慶喜の寛典を説くが、これを岩倉具視と大久保が一蹴する。かくして慶喜に辞官納地が申し渡されるが、それで慶喜らが収まるわけがない。

 ただしこの時点で、幕府軍との軍事衝突の覚悟が大久保と西郷にあったのかというと、そうとも言い切れない。慶喜が辞官納地に応じて江戸に謹慎するなら、無血クーデターという形の討幕で、政治体制の刷新を行うというシナリオも描いていたはずだ。

 だがそうはならなかった。慶喜には会津・桑名両藩が付いており、また江戸には近代化された軍団も控えていたからだ。彼らの突き上げを食らい、失地回復が可能と思ってしまったところに、慶喜の甘さがある。

 それでも双方の間で対話の空気は盛り上がっており、場合によっては、何らかの妥協がなされる可能性もあった。ところが十二月二十三日、薩摩藩の江戸藩邸を庄内藩兵などが焼き討ちすることで、事態は大きく動き出し、慶応四年( 一八六八) 正月早々、戊辰戦争が勃発する。その一連の戦いに勝利した薩長土三藩を中心にして、明治新政府が樹立されるのは周知の通りだ。

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伊東 潤