情報とデパート その1 - 情報は良くない言葉?

情報とニュース

 私たちは、情報という言葉に対しては常に有機的な捉え方をしてきました。もう少し優しく言えば、情報は無条件でプラスになるものと思い続けていました。ところで、最近の調査でニュースを見たり聞いたりすることに対し、‶ 積極的〟に受け入れないように考える人が一定の割合で増えてきているということを知りました。ニュースは暗い事件・悲しい事件などばかりで心が沈んでしまうので、敢えてニュースに触れないようにしているというのです。しかし、そればかりではありません。後述するように情報そのものが必ずしも正確に伝えられないという点も見逃すことは出来ません。

 私が子供の頃は、NHKのニュースの時間は父親が当り前のようにチャンネルを独占していました。子供心にもニュースは見なければいけないものとの思いをもっていたのです。

 30、40年前と比べると、ニュースの量は格段に増えており、ニュースの位置付けも昔のように起きた事実を少しでも早く伝えるというシンプルなものでなく、起きた事実を様々な角度から分析して、視聴者に伝えようとする手法に取り替わってきました。皮肉なことに、スピードが必ずしも価値を高めているわけでもないのです。

 一つの事件でも、そこに至るまでのプロセスや事件後の評価、更には製作側の視点で強調する箇所、コメンテーターの感想など様々に色を付けることで、事実を受取る側の印象も大きく変ってしまいます。いわゆる、情報操作が起きているわけです。つまり、「本当のことなのか」「虚偽のことなのか」というほどの明確な色分けは出来ないものの、伝えられたことをそのまま信じることが出来ない情報が決して少なくないという環境になってしまっているのです。

 そうした中で、SNSの大幅な進化、更にAI技術の日常化により、情報量は更に増大しております。そして‶ フェイクニュース〟つまりまさしく嘘の情報も急激に私たちの周りに押し寄せてくるようになってしまったのです。嘘の情報は見ようとしないだけでは防げません。‶ オレオレ詐欺″ ″振込み詐欺‶ など問答無用に入って来る内容、接触してくる相手を積極的に見分けて拒絶する能力も必要とされます。

 マイナスの情報に対して、対抗するエネルギーを養わなければならないのです。そのためには、新しいモノの考え方を持つ必要があります。つまり、情報とは決して良いモノではないという意識改革です。この点を見つめ直すことが、これからの私たちの生活を安寧にするための大きな鍵となるのではないでしょうか。

 本連載では、そうした見地から情報というものの分析をしていきたいと思います。