情報とデパートその9 共感と情報

私たちがコミュニケーションを取る際、共感し合うということは重要な要素とされています。それどころか、人間関係を深めるための必須事項と考えられているのではないでしょうか。「共感」という言葉の響きは、相手の言っていることや考え方に対し、積極的に同意をする訳ですから、とても好ましいものと考えてしまう嫌いがあるわけです。
ところが、目の前の相手と共感し合うことと比べて、インターネットの情報に対して共感するということには、かなり危険な要素が潜んでいます。例えば、ある人が誰かに非常に辛い目に遭わされたという情報を発信したとします。但し、その〝辛い目〟は受けた側の主観的なものに過ぎず、客観的に見れば全く異なる解釈があることの方がむしろ多いのです。
また、こういう見方もあります。辛い目に遭ったのは確かな客観的事実であったとしてもその瞬間だけを切り取ったものであり、その二人の長い間の人間関係を俯瞰すれば相手の方が辛い目に遭っている方がよほど多いかもしれません。しかし、被害を受けたと感じた人が自身の主張をインターネットに発信した場合、ネット上でその話を知った人は発信者の主張に共感するとともに、辛い目に遭わせた相手に対して発信者と同じ立ち位置になり、その相手に強い敵意を持ってしまうことにもなります。
ネットによって共感者が拡がることで、恐ろしいくらいの大きさの悪意が育っていく危険性が生じます。人の悲しい本性として相手を否定する行動に走ると、それは加速度がついてしまうことは否めません。つまり、共感し合った不特定多数の人たちの中では、相手の人格さえ壊してしまうエネルギーを発生させてしまうのです。
インターネットの情報には、フェイクニュースや真偽が定かでないものが溢れています。あてにならない情報によってあってはならない共感をしてしまい、人々の絆が壊されてしまうということがどれほどの件数で起きていることでしょうか。
今、私たちは人の話を聞くという情報の取り方一つにおいても一定の覚悟が求められています。そして、人としての品格を保つためにはインターネットでの情報には、達観して臨むことも大切な心得と言えそうです。

デパート新聞社 社主
