デパートのルネッサンスはどこにある? 2025年4月01日号-第112回パルコが消え、百貨店も消えた「松本」(前編)

 2025年長野県松本市の中心部で商業施設の閉店連鎖が続いている。
松本市の市街地から大型商業施設である松本パルコが2月末に、井上百貨店が3月末に、相次いで撤退してしまったのだ。

 本紙は「デパート」新聞なので、先ずは松本市唯一のデパートである井上百貨店の閉店のニュースから始めよう。

井上百貨店の撤退

井上百貨店

 松本市の地元百貨店である株式会社井上は、松本駅至近の本店店舗を2025年3月末日に閉店した。ちょうど本紙4月1日号発行の前日となる。

 因みに2024年4月に発表されたため「お別れ」の期間はちょうど1年間だったことになる。

 市街地の中心に位置する百貨店の閉店は、地元では大きな衝撃として伝えられた。衝撃が大きい要因の一つは、1か月前の2月28日に近隣の商業施設「パルコ」が閉店したからだ。3月15日に発行した本紙前号でも、松本の閉店ラッシュはお伝えしているが、地方都市での「ダブル閉店」は地元民にとってはショックだろう。

井上百貨店


井上の来歴

 井上百貨店は、1927年に松本城の旧城下町六ろっ く九通りに「井上呉服店」として創業。その後も順調に業績を伸ばし、地場の百貨店へと発展した。

 高度経済成長期に駅前が急激に発展したのに合わせ、1978年にイトーヨーカドーが松本駅前の松本バスターミナルビル(松電バスターミナルビル)に進出した。これに呼応する様に、1979年4月に、井上百貨店は現在の駅前の深志2丁目に移転開業した。
当時、松本駅前にはホテルや商業施設などが次々と進出し、新しい商業集積地を形成した。

 1980年代のバブル経済下、ご多聞に漏れず井上百貨店は活況を呈し「洗練された」ショッピングスペースとして人気となった。年配客だけでなく当時の若者たちもここに集った。因みにパルコの開業は、5年後の1984年8月23日だ。

郊外シフト

 しかし、バブル崩壊後は消費者の購買力の低下や、松本市への郊外型ショッピングセンターや大型スーパーマーケットの進出により、経営環境は急激に悪化した。

 結果として、地方都市で定番の栄枯盛衰劇の舞台となってしまった。現在、駅前周辺には、古いビジネスホテルや老朽化した雑居ビルも目立ち、お世辞にも活気があるとは言えない状況だ。

 パルコ、井上の相次ぐ閉店により、4月以降は松本の商業集積は、駅から1・3キロ離れたイオンに完全に重心が移った、と言えるだろう。

 但し、徒歩約20分というのは、車社会である松本では「歩くには」微妙に遠い距離だ。ちょっとした事にも車を使う、というのは地方都市あるあるであり、だからこそイオンが「勝ち残った」のだ。

空洞化

 そもそも、駅前を含む市の中心エリアの空洞化を嘆くのは、行政や商店街の飲食店の人々だけで、顧客は自らのライフスタイル(この場合はカーライフ)に合わせてくれた商業施設をチョイスするだけなのだ。

 もちろん老舗の井上も、モータリゼーションへの対応は怠りなかった。

 井上百貨店は2000年にシネマコンプレックスを併設した複合商業施設「アイシティ21」を開業。当該店舗は松本駅から南西に約10キロ、車で20分ほどの郊外に立地しており、今回、駅前の井上百貨店本店を閉店し、アイシティ21に事業を集約する運びだ。

 こうした、城下町から駅前へ、そして駅前から郊外へという、商業集積エリアの変遷は、地方都市(衰退?)の定番コースとなってしまった。

先輩・宇都宮

 宇都宮でも、市の中心地にあった福田屋百貨店が1994年に郊外にFKDショッピングプラザ宇都宮店と、2003年にFKDショッピングモール宇都宮インターパーク店を相次いで開業した。

 これは典型的な例だ。今回松本で起こった事は、日本の商業集積の移り変わりを象徴しているとも言える。

 先ほども?マークを付けたが、これを「衰退」としてひとくくりにするのは間違っているのかもしれないが。

 逆に言えば、松本のパルコと井上は、よく7年間も持ちこたえたものだ、というのが筆者の正直な感想だ。

 因みに、FKDは福田屋=FuKuDaの略称だ。本紙の購読者には言うまでもないことだが念のため。

 さて、次は松本パルコの番だ。

パルコの来歴

広場とパルコ

 先ずは現在に至る「パルコ跡」の来歴だ。元々は「はやしや百貨店」として開業し、高度経済成長下の1963年に地下1階、地上5階の百貨店として新装開店した。

 しかし、70年代には既に売上が低迷し、1974年に株式会社ジャスコに買収され「信州ジャスコ」となった。

 そのジャスコも、1981年に約500メートル西の片倉製糸場の跡地に郊外型SCとして移転している。ここは後に大型化し2017年イオンモール松本となるわけだ。

 1980年代初期には、前述した駅前の井上百貨店を中心としたエリアが活況を呈し、ジャスコの抜けた旧城下町である中央エリアは相対的に低迷した。

 このエリアを4年ぶり復活させたのが1984年に旧信州ジャスコの跡を増築してオープンした松本パルコだった。

 当時のいわゆるDC(もはや死語だがデザイナーズ&キャラクターズ)ブランドブームに乗って、若い世代の人気を集めた。

 周辺に増殖した同世代向けの店舗との相乗効果もあり、中央地区は人気の商業集積地として復活を果たした。

選挙戦にも

 しかし、2023年2月に、株式会社パルコは2年後の2025年2月末で松本パルコの営業を終了すると発表した。

 中心市街地のランドマーク的な存在でもあることから、松本市内はこの話題で持ち切りとなった。

 2024年3月に実施された松本市長選挙では、跡地利用の方針が候補者の争点となったのは記憶に新しい。

 当初松本市は、松本パルコ閉店後に上層階を借り、図書館などの公共施設として利用すると発表したものの、2024年4月に市議会での交渉が長引くことを懸念した運営会社側から協議が打ち切られた、という経緯がある。

後継候補

パルコ閉店

 2024年9月に、運営会社が新たな複合商業施設として利用すると市に申し入れたことが市の発表により判った。

 しかし、具体的な案が示されないまま、しばらくは閉店後の行方に関しては、不透明なままだった。

 ところが、閉店を2日後に控えた2月26日、松本パルコの後利用を巡って、商業コンサルティング企業である「やまき」が、イベントスペースや食品フロアを備えた商業施設として、11月にグランドオープンを目指す方向で最終調整に入ったことが報道されたのだ。このニュースは「関係者への取材で分かった」とし「近く正式に発表する」と報じられている。

 正直筆者は、水面下で様々な駆け引きが行われていたのでは、と思っている。
パルコの後継問題については、続報が入り次第お伝えしたいと思う。

後手後手

 行政というのはとかく「そういうもの」なので、筆者が何を言おうが後の祭りだが、市の中心部の空洞化を防ぐために、撤退したパルコ跡の活用を、今どうしよう、というのは「泥縄」以外の何ものでもない。そもそも2017年にイオンモール松本が開業した時点で、今回のパルコと井上百貨店の閉店は「ほぼ確定していた」といっても過言ではないからだ。

 前述した宇都宮だけでなく、全国の地方都市で同様の事案が散見されていたからだ。この間、当然行政も何もしなかったわけではなく、2018年4月に松本パルコのすぐそばに、信毎メディアガーデンが開業している。

 これは信濃毎日新聞の松本本社ビルとして建てられた5階建てビルで、1階は市民に開放されたコミュニティスペースやホール、2〜3階にはレストランやアウトドアショップなどが入居している。

 もちろん、これが起死回生の起爆剤になった、という訳ではなく「焼け石に水」だったことは否めないが。

とどめのイオン

松本市中心部の地図

  松本市内の商業環境が大きく変化したのは、前述の様に2000年に井上百貨店が、シネコン併設の郊外型ショッピングモール「アイシティ21」を開業したのがスタートだ。

 そして最後に決定的な影響を及ぼしたのが、2017年イオンモール松本のオープンだ。片倉製糸場跡地に移転開業した信州ジャスコ(イオン東松本店)を建て替え、増床したことは前述した。

 店舗面積は長野県最大の4万9千平方メートル、店舗数は170店舗を誇り、松本中心街エリアの井上やパルコの売場面積の合計を超える巨大ショッピングモールとなった。

 松本駅からは徒歩20分、バスで10分ほどの距離であり、松本パルコ跡から東に500メートルの微妙な距離だ。

 まあ、前述した様に松本はカーマーケットなので、駅からの距離はあまり関係ない訳だが。

(次号に続く)