渡辺大輔のデパート放浪記 - ペンを捨てよ、街へ出よう - (第16 回 )
これは強引な推論かもしれない。だが街とデパートとの関係を分析する道具の一つにはなるのではないかと考えるので、旅人としての感想に添えて記しておく。
少し時間をさかのぼって、今年の5月に初めて岐阜を訪ねた時だ。タカシマヤと柳ケ瀬商店街の巡回を一通り終えた私は、スマートフォンの電池残量が頼りなくなっているのに気づき、一旦ホテルへ戻ることにした。夕方の5時を少し過ぎたころだった。
24時間1000円で借りた電動アシスト付き自転車に乗って、劇場通りのアーケードを抜ける。ひと漕ぎごとにみるみる景色が変わって、あっという間に玉宮通りに入った。視界の左右に飲食店の看板が並ぶ。すでに夜の営業を始めた店も多いが、時間のせいか人通りはこれからといったところだ。
店の表に立つスタッフらしき人影がぽつぽつと見える。呼び込みをするというより通りをただ眺めているといった様子だ。中には隣り合う店同士なのか、腕を組んで談笑をする姿もあった。
彼らには似通った特徴があって、ある者は髪を派手な色に染め、ある者はTシャツの袖からタトゥーをはみ出させている。いわゆる「ヤンキー」と呼ばれるような容姿をしていた。ふと缶ビールを傍らに置いて道端に横たわる若者が目に入る。彼も黄色い髪を波打たせて、手首まで模様を刻んでいた。
部屋に戻ってスマートフォンを充電しながら、テレビで地元の情報番組を観つつ、夕食について思案する。柳ケ瀬の一角に年季の入った串揚げ屋があったので、そこへ行ってみようか。いかにも常連客の溜まり場になっていそうな雰囲気だったから、うまくすれば商店街にまつわる面白い話が聞けるかもしれない。
6時半ごろに部屋を出る。日暮れを迎えた玉宮通りにはさまざまな色の明かりが輝き、一日の仕事を終えた人々がそれらに視線を迷わせながら歩いていた。
ガラス張りの居酒屋から威勢のいい声が聞こえてきた。窓際に座った30代くらいの集団が、ビールジョッキを目の前に持ち上げている。彼らは胸にドクロがプリントされたシャツを着たり、首にごついネックレスを掛けたりしていた。
時を経て7月31日、私は劇場通りアーケードの下で、閉店セレモニーに拍手を送る群衆の中だ。47年の命を終えるデパートを眺めながら漠然と、これは葬式なのだと感じた。
——だが何の葬式だろう。
その疑問は目の前の光景に記憶の断片をあしらって、新しい絵を描いてみせた。
思えば閉店を惜しんでデパートへ押し掛けた人々の中に、玉宮通りではよく見るタイプの姿を見つけたことがない。セレモニーの人だかりにも同じだ。客層が違うと言えばそれまでだろうが、彼らにも幼少期にデパートへ連れていってもらった思い出はあるはずだろう。
デパートから足が遠のいていた人さえ最期に立ち会おうと集まっていることを考えれば、彼らと群衆とに大きな差などないように感じられる。だが彼らはここに来ないのだ。
——母との想い出の高島屋。姉がずっと勤めた高島屋。永い間お疲れ様でした。
メッセージボードの一枚が、ある仮説へ私を導く。
「彼らは、家族の思い出を振り返る必要がないのではないか」
彼らは血のつながった者同士だけでなく、友人や同じコミュニティに属す仲間とも家族に近い関係を築く。いわゆる「ファミリー」だ。親の代から続くつながりを継承している場合もあるだろう。そしてファミリーは、出身校の後輩や職場の新入りという存在によって、常に更新されているはずだ。つまり彼らにとって「家族」とは、今日も明日も古びない存在なのだろう。
片やデパートの閉店を悲しむ人々は、死や巣立ちによって家族と別れてきた。思い出の生まれる機会は減り、従ってかつての記憶に価値が加えられてゆく。それがしまわれたデパートを失うということは、やはり足を運ばざるを得ない出来事なのだろう。これは「家族の思い出」の葬式だ。
タカシマヤがシャッターをすっかり閉じて、式の終わりを告げた。やがて人の固まりは少しずつ、静かな商店街に溶けていった。
(続く)