英雄たちの経営力 第12回 大隈重信 その2
(承前)
その後も政局とは距離を取っていた佐賀藩と大隈だが、中央の政局は予断を許さないものとなっていた。慶応二年( 一八六六) の第二次長州征伐の失敗は、幕府の屋台骨を揺るがすほどで、これにより幕府の先が見えてきた。となれば新政府の主導権争いに加わらねばならない。大隈らは直正を動かそうとしたが、直正はうんと言わない。
翌慶応三年には、幕府と討幕派諸藩双方から、佐賀藩に味方になるよう密使が送られてきた。それでも直正は、情勢を観望するという方針を貫いた。
大隈らは直正に、将軍慶喜に大政を奉還するよう勧めさせようとするが、これにも直正は首を縦に振らない。それに業を煮やした大隈は、副島と二人で脱藩の挙に出る。しかしすぐに捕らえられて佐賀に強制送還されてしまう。
ところが佐賀藩が出遅れているうちに、土佐藩が大政奉還の建白をしてしまい、慶喜はこれを受け容れる。佐賀藩としては千載一遇の機を逃したことになるが、薩摩藩と岩倉具視によって、それも覆されることで、いよいよ両陣営は軍事衝突へと突き進む。
さすがにこの事態を直正も憂慮し、大隈に意見を具申する。大隈は率兵上京を勧めるが、それでも直正は動かない。大隈は直正が「温厚な雅量」を持った人物だったので、積極策に転じられなかったと後年論じているが、実は、五十三歳という当時としては高齢の直正は、胃潰瘍も患っており、体力気力共に失われつつあったのだ。
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作 伊東 潤
『黒南風の海 – 加藤清正』や、鎌倉時代初期を描いた『夜叉の都』、サスペンス小説『横浜1963』など幅広いジャンルで活躍
北条五代, 覇王の神殿, 琉球警察, 威風堂々 幕末佐賀風雲録 など。