英雄たちの経営力 第10回 荻原重秀 その2

重秀の前半生

 重秀は、幕府勘定所の勘定( 平役人) 二百俵取りの次男として、万治元年( 一六五八) に両国橋付近の武家屋敷の一角で生まれた。下級役人の次男という、一生うだつの上がらない境遇に生まれたことになる。それでも重秀は人生をあきらめなかった。記録にはないものの、後の知見の広さからすると、懸命に勉学に励む少年の姿が思い浮かぶ。

 重秀が生まれる前年には明暦の大火があり、旧弊を刷新していく風潮の中で育ったことも大きかった。「新しいことはよきこと」という概念が、重秀の中に植え付けられていったのだ。

 一方の白石は明暦の大火の年、すなわち明暦三年( 一六五七) に生まれているので、重秀より一つ年上になる。しかも白石生誕の地は、重秀生誕の地から七百メートルしか離れておらず、少年時代に何らかの接触があった可能性がある。それが何かの遺恨を生んだかどうかまでは分からないが、寺や神社、また隅田川の河畔で共に遊んでいた可能性はある。

 延宝(えんぽう)二年( 一六七四)、勘定所は三十二人もの若者を大量採用した。後に延宝検地と呼ばれる大規模な検地を行うためだ。その中に重秀もいた。

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伊東 潤