海外の百貨店 その3~フランス

現在のフランス

 現在は、フランス入国時のコロナウィルスによる水際措置が撤廃されています。また、公共交通機関でのマスクの着用義務がなくなり推奨となりましたので、観光客の増加が見込まれています。

 観光でフランスを訪れる際にショッピングはとても重要な目的の一つです。中でも有名な百貨店が立ち並ぶパリでは、美術館のような百貨店の佇まいがショッピングとともに観光の一部として観光客から支持をされています。また、日々の生活にも欠かせない場所として地元民からも親しまれています。

 今回はファッションの街パリに並ぶ百貨店を中心にそれぞれの歴史を紹介していきます。

  • Galerie Lafayette – ギャラリー・ラファイエット
  • Printemps – プランタン
  • BHV Marais – ベー・アッシュ・ヴェー
  • Le Bon Marché Rive Gauche – ボン・マルシェ
  • La Samaritaine – ラ・サマリテーヌ

Galerie Lafayette – ギャラリー・ラファイエット

 観光地としても有名なパリのオペラ地区オスマン大通りにあるGalerie Lafayette(ギャラリーラファイエット)は、日本人が多く訪れる有名な老舗百貨店です。現在は、本館・メゾン&グルメ館・紳士館の3つの建物で構成され、総床面積は66,000㎡。面積と入店客数ではパリ最大の百貨店です。特にクリスマス時期の豪華なイルミネーションでも有名です。

 本館には建築されてから110年を越えるという吹き抜けの空間上にあるネオ・ビザンチン様式のステンドグラスの丸天井(クーポール)が設置され、まるで宮殿のような趣があります。ラグジュアリーブランドが並ぶ1階には、世界最大級と言われているシューズ売り場があります。

 また、パリでは非常に珍しい無料の飲料水を提供する場がありショッピングに訪れた人や観光客にも喜ばれているようです。本館1階には日本人客のためのジャパニーズ・カスタマー・サービスがあり、免税手続きや質問などを日本語で対応してくれます。

ギャラリー・ラファイエットの歴史

1894年 アルサス人のテオフィル・バーダーとその従兄アルフォンス・カーンが、パリのファイエット通り1番地にノベルティストア「オ・ギャラリー・ラファイエット」(ラファイエットにあるギャラリー式の店)を開店する。店のある通りの名前と、横に長い店内のレイアウトからそう呼ばれていました。立地もよくお店は繁盛しました。

1912年 フィルデイナン・シャヌー設計でオスマン本店と現在も残るアールヌーボークーポール(ステンドグラスの丸天井)が設立される。

1916年 ニース店がオープンする。

1919年 百貨店主催のコンテスト後、ジュール・ヴェドリン機がパリオスマン店の屋上に着陸。

1922年 ラ・メトリーズ版の制作。ギャラリー・ラファイエット応用芸術ワークショップを開催した。

1932年 「モノプリ」(パリ市内にチェーン展開するスーパーマーケット)ブランドを創設。クーポールを現在のアールデコ様式のものに改装。

1973年 パリ・モンパルナスに店をオープン。

1985年 「オー・ダム・ド・フランス」のブランドを取得する。

1996年 ベルリンにジャン・ヌーベルが設計したギャラリー・ラファイエット店がオープン。

2004年 パリオスマン大通りにギャラリー・ラファイエット・メゾンがオープン

2005年 ギャラリー・ラファイエットグループのムーラン家が100%買取。ジネット・ムーランがグループの監査役会会長に就任。フィリップ・ウゼが取締役会長に就任する。

2007年 ルイ・ビオン・ロイヤル・クオーツを取得する。

2008年 ギャラリー・ラファイエットグループの不動産資産を管理・強化するアセットマネジメント活動「Citynove」が創設される。

2009年 ドバイ店がオープン。

2012年 ドーム建設100周年記念イベントを開催。

2013年 北京、ジャカルタに店舗をオープン。ドーハとイスタンブールに旗艦店をオープンすることを発表。

2014年 カルフールグループの株式を取得する。2020年までにミラノに店舗をオープンするプロジェクトを発表。オスマン・メゾン大通りにギャラリー・ラファイエット・グルメ館がオープン。ギャラリー・ラファイエット初のアウトレットがオープン。

2015年 オスマン店の屋上に都市農業用テラスを設置する。

2017年 イスタンブールとカレ・セナールに店舗をオープン。オスマン店近くにウエルカム・アンドショッピングセンターをオープン。マレにある「Lafayette Anticipations(ラファイエット・アンティシパシオン)」屋上に腰掛け庭園を設置。

2018年 マルセイユプラド店オープン。マレの小売店サイトを開設する。

2019年 パリシャンゼリゼ店オープン。ポーグルネル、上海、ドーハ、ルクセンブルク店をオープン。「モーブッサン」の株を過半数取得。

2020年 オスマン店、くープールの大規模改装が始まる。

2021年 ギャラリー・ラファイエット・オスマンの有名なクーポールが改装を完了し、オスマン大通りの旗艦店としては創業以来最大規模となる2年以上続いた大規模プロジェクトを終えた。

2022年 ギャラリー・ラファイエット・パリ・オスマン」の本館地下1階が、巨大な美容スペース「ラ・ウェルネス・ギャラリー(La Wellness Galerie)」としてリニューアル。靴売り場からエステやスパを行う各サロン、スポーツジムを集め、中央部分に美容・エクササイズ用品を扱った売り場へ様変わりした。

参考:ギャラリー・ラファイエット

Printemps – プランタン

 ギャラリー・ラファイエットに並ぶ有名な百貨店。現在はフランス国内にプランタングループ29店舗を展開しています。プランタンは、ファッション、ラグジュアリー、ビューティー、ライフスタイルにおけるフランスのリーダー的存在でもあります。

 2015 年に創業 150 周年を迎えたオスマンの旗艦店は、優れた文化的および芸術的遺産を受け継ぎ、歴史的記念物に指定されています。また、ギャラリー・ラファイエットのすぐ近くにあるため一度に2店舗を訪れることができます。

プランタンの歴史

1865年 プランタンは、ポン・マルシェ百貨店の従業員だった、ニヴェルネ出身のリューズ・ジャルゾによって創設された。当時、店舗をオープンしたサン・ラザール郊外のル・デュ・アーブルは、オペラ座は広大な建設現場でしかなく一般的に辺境の地区と認識されていたが、リューズ・ジャルゾは将来の可能性に焦点を当て、やがて街の発展と裕福な顧客たち、旅行者の増加によりプランタンは成功を収めることになった。建物を設計したポール・セディーユは、ガラス工芸のアール・ヌーヴォーのドーム状の天井がある近代的な百貨店を建築した。

1866年 販売とマーケティングの天才リューズ・ジャルゾは販売の概念を発明して革新を起こす。当時、殆どの店が古い在庫商品をノベルティの中に隠し処分しようとした一方で、透明性を重視した彼は、プランタン創業の2ヶ月後に「Soldes」のいうコンセプトを立ち上げ、商品を特定の日付と特別価格で販売した。昨シーズンの商品が飛ぶように売れる一方で、ブランドが常に新しく新鮮で魅力的な商品を提供するという約束を具体的に守っていることが証明された。

1868年 通信販売を展開する。多くの国にデパートが存在しない時代に始めた通信販売は、10年も立たないうちにヨーロッパだけでなくエジプトからアジアに至るまでに広がった。20世紀初頭には、世界中へ1100万冊のカタログが発送され、百貨店売上の25%を占める事となった。

1870年 3月21日に顧客一人一人にデパートの人気の花となったすみれの花束をプレゼントするイベントを実施。このイベントは刷新と新鮮さを呼び起こす「オープランタ」という名前と完璧に調和していた。

1874年 前の年にウイーンで行われた万国博覧会で大成功を収めたエレベーター2基を設置する。後にウイーンリフトといわれたこのエレベーターは、動きが永続的で一方が上昇し、他方が下降するという特別なものだった。またもや人々を魅了し、店舗は上昇を続けた。この年にプロヴァンス通りに2店舗をオープン。

1878年 百貨店として初の博覧会に出展し、2つの銀メダルを受賞する。翌年には建設されたたばかりのイベントの主役であるエッフェル塔からの鉄の端材を利用してメダル、文鎮、インク壺、スタンプを押した記念品を作ったことで名を馳せた。1990年には建築家リスラート装飾家シェレによって設計された独自のパビリオンが完成した。

商品の多様性を重視し、男性のワードロープに特化した衣料部門や、独自のブランド香水・レディースシューズをデビューさせた。

1881年 火災で店舗が完全に焼失する。従業員、顧客までもが再建のための資金を提供し、建築家ポール・セディールが設計し、特徴的なサイン・鉄が初めて見られ、装飾されている。革新的で壮大でモダンな大聖堂のような建物に生まれ変わった。

1882年 パリで有名な裁縫師マダム・バルテルのデザインスタジをを開設し注目と人気を集める。

1883年 トーマス・エジソンによって完成した電気照明を店舗に導入する。パリ市が電気を導入したのはこの6年後となる。

1907年 マネージャーのギュスターヴ・ラギオニーは、建築家ルネ・ビネに新店舗の設計を任せます。角のロタンダ(上部がドーム状の建物)、広大なテラス、高さ42メートルのホール、今回は8角型で特に大胆な形式です。全体が典型的なアートニューの鉄細工のバルコニーと手スリが絡み合ったデザインで、建築上の傑作であり人々の注目を集めました。

1912年 パリの富裕層は夏になるとリゾート地のドーヴィルに長期滞在をすることが習慣となっている。プランタンは、この顧客たちのニーズに応えるために、夏季限定でリゾート地に店舗を営業させた。これはパリの百貨店では初の試みである。これは地方支店の最初の拠点ともなった。

1919年 第1次世界大戦後、「すべてのエレガントな女性はプランタンの顧客です」というスローガンのもと、プランタンは夢、贅沢、美しさを求める顧客に選ばれる目的地となった。ショーウインドウにはマネキンが登場し注目を集めた。

1920年 テーマ別展示会の一つリネンに特化したイベントに象が登場。現在までイベントの象徴となっている。

1921年 完成したばかりの新店舗で火災で焼失。1924年にドームのステンドグラスを含め店舗が再建される。防火ドアやカーテン、難燃性ガラス、自動消火ネットワークなど防火対策が施された。また、初のエスカレーターが設置された。

1922年 子供のための自社ブランド「PRIME ROSE」を立ち上げる。

1923年 グレート・イディアル・ファッションテストを開催。顧客の趣味、趣向を拾い上げることに成功を収める。

1925年 国際装飾芸術博覧会におけるワークショップでは最優秀賞5件、金賞8件を受賞。

1930年 メンズプレタポルテを発明する。あらゆる体型に適した260種類のサイズを用意した。

1933年 デパートで初のファッションショー(ポール・ボワレのコレクション)を開催し成功を収める。

1958年 ウエディングリストサービスを開始する。

1962年 ピエール・カルダンがプランタンでデビューし店を構えると大きな注目を浴び新規顧客の獲得につながった。

顧客の旅にも同行。オルリー空港や定期便フランス号にも店舗を開店する。

1964年 ナイロン製のブラシマットを滑るスキー場をオープン。

パリ東部ナシオンに新店舗がオープン。その後、初のショッピングセンタ、ーパーリー2もオープンする。

1968年 すべての店舗で有効なクレジットカードを発行。1973年以降、すべてのカード所有者は、「スプリングクラブ」グループ化され、様々な特典、割引、情報サービスを提供されている。

おもちゃのイベントでロタンダロケットを設置。翌年、直径25.5メートル、16000コのランプで照らされた作品が月のような姿でデパートのテラスに登場した。

1972年 ドームを構成する3185枚のオリジナルガラスパネルが元の場所に忠実に戻った。

1973年 人形遣いのジャン・クロード・デヒックスによりクリスマスウインドウに人形たちのショーが登場した。

1975年 フランスの歴史的建造物高等弁務官事務所によりプランタン‥ドゥ・ロムのファサードと屋根を文化遺産に指定した。百貨店としては初めての文化遺産となった。

1978年 百貨店内に「モード通り」が誕生する。クリスチャンディオール、ベルシェ、クレージュ、ルイフェラー、ケンゾー、サンローランなどの店舗が並びました。

1981年 大規模な美術館の展示を開催。万里の長城の完成を指揮した秦王朝の初代皇帝の始皇帝の霊廟の彫像の展示会では、2ヶ月で約45万人が集まった。

1984年 世界各地に店舗を展開する。日本に4店舗、シンガポールに1店舗、クアラルンプール、マレイシア、サウジアラビアのジェッダ、アメリカのデンバーなどに店舗をオープンした。

1998年 クリスチャン・ラクロワがプランタンのウエディングドレスをデザインする。

1999年 フランスデパートで初のインターネットショッピングを始める。

2000年 スポーツとストリートウエアの殿堂シタディウムが完成

2002年 プランタンの1階すべてを高級品売り場に改装。

2007年 オスマンのファサードの改修工事が始まる。

2013年 PLACE DES TENDANCES( オンラインファッションブランド販売)サイトを買収する。

2014年 ルーブル博物館と提携した世界初の百貨店とプランタンデュルーブルをオープン。ピラミッドの真下に当たる場所。マルセイユ店オープン。

2015年 150周年を祝イベントが開催される。

2016年 社会的、環境的責任戦略を発表する。 中央トリウムにヤブ・プッシェルブルクの記念碑的な作品「ラ・ヴォワール」を建設。

2019年 デザイナー家具、照明、装飾ブランドするオンライン欧州リーダーである「MADE IN DESIGN」を買収する。

2020年 5月28日11時から、プランタン・オスマン本店が営業を再開。11月に仏老舗百貨店プランタンが7店舗の閉鎖を発表、新型コロナにより売上低迷のため。

2021年 初のライブショッピングシリーズ「EN MODE PRINTEMPUS」を開始する。

2022年 3月に第1回フェスティバルを開催。

参考:Printemps(プランタン)

BHV Marais – ベー・アッシュ・ヴェー

 パリマレ地区にあるベー・アッシュ・ヴェーは、1856年に創業したパリで2番目に古いデパート。ギャラリー・ラファイエットグループの傘下にある。パリ市庁舎の隣に位置するため地元客だけでなく観光客も大勢訪れる。アパレルブランド、化粧品、インテリア、家電製品、キッチン用品、日曜大工用の道具や画材用のグッズまで、ホームセンターのように日々の生活に関する物は何でもそろうデパート。

 2023年2月 ギャラリー・ラファイエット・グループは、フランス・パリの百貨店「BHVマレ」を非公開の買い手に売却すると発表しました。買収するSGMは、大型の投資を行ってテコ入れを図る計画で、定評があるDIYコーナーは維持することを約束している。

ギャラリー・ラファイエット、BHVを売却へ

Le Bon Marché Rive Gauche – ボンマルシェ

 ボン・マルシェ百貨店はLVMHグループ傘下の百貨店で世界初の百貨店です。1838年に創業。高級ブランドのブティックが入り、衣料品からジュエリー、化粧品、雑貨、家具、子供用品などが揃っています。

ポンマルシェの歴史

1838年 ヴィドー兄弟が創業したパリの流行品店(生地屋)の一つだった。

1852年 帽子屋の息子リスティッド・ブシコーによって店が買い取られ夫人のアリスティッド・ブシコーと二人で、店をすぐに「現代商業の大聖堂」に変え、ル ボン マルシェをパリ初のデパートにした。先見的で大胆なブシコー夫妻は、固定価格、利益率の削減、宅配、品物の交換、通信販売、ホワイトマンス、販売、プライベートコンサート、閲覧室、絵画ギャラリーなどの革新を行った。

1869 年~1872 年 ブシコー家の目覚ましい成功によりセーヴル通りとヴェルポー通りの角に新しい建物が立つが、ブシコーは気に入らず、新たに建築家L. A. ボワローとギュスターヴ・エッフェルにより、パリのオペラ座をモデルに再改装を行い、1887年に完成。

1905年 建築家アレクサンドル・ラプランシュ、その後ルイ・シャルル・ボワローの才能のおかげで、全体が統一され、調和が図られ、建物が現在の外観に完成する。

1912 年 現在のグランド エピスリー ド パリの敷地に新店舗が開設された。

1915 年 大火災の後、この建物はアールデコ様式で再建され、1923 年に再オープンした。

1984年 ベルナール・アルノーのLVNHグループが買収する。これを機に高級品を扱う デパートとなる。

1988 年 ボン マルシェ リヴ ゴーシュの子会社であるラ グランド エピスリー ド パリが改装され、パリ最大の食料品店になる。

2022年 メイクアップを中心とした美容コーナー「ラトリエ・マキアージュ(L’Atelier Maquillage)」を6月上旬にオープン。

2022年 創業170周年。

La Samaritaine – ラ・サマリテーヌ

 ポン・ヌフ(セーヌ河に架かるパリ最古の橋)のたもとに位置する「サマリテーヌ」は左岸の「ル・ボン・マルシェ・リヴ・ゴーシュ」、オペラ・ガルニエ近くの「ギャラリー・ラファイエット・パリ・オスマン」、「プランタン・オスマン本店」といった、今も残る老舗デパートと「サマリテーヌ」はベル・エポック期のパリの象徴ともいえます。

 建物の老朽化により2005年から閉店していたが、2021年6月デパートと5つ星ホテル、公共住宅、オフィス、託児所などが集まった複合施設として復活した。デパートは創業時から1900年代前半のアール・ヌーヴォー建築を修復・再現した「ポン・ヌフ館」と、全面改築された「リヴォリ館」から成り、取り扱いブランド約600のブランドのうち、約40ブランドが「サマリテーヌ」限定販売。

ラ・サマリテーヌの歴史

1870年 アーネスト・コニャックがポンヌフ通りに店を開き、「ラ・サマリテーヌ」と名付ける。

1875年、売上高100万フランを達成。

1890年- 1910年

アーネスト・コニャックは、モネ通り、ベイレ通り、アルブル・セック通り、プレートル=サン=ジェルマン=ルー=オセロワ通りに囲まれた区画の北側の土地を徐々に取得し、既存の建物を店舗に改装した。ブロックの南側には、建築家フランツ・ジュールダンに設計を依頼し、アール・ヌーヴォー様式で装飾された巨大なガラス屋根を支えるリベット打ちの鉄骨を持つ建物を建設した。北側と南側の区画は、多色釉の溶岩石パネルで飾られたスチールとガラスのファサードで一体化されている。

1926年 – 1928年

建築家アンリ・ソヴァージュが、セーヌ河岸にアール・デコ調の階段状の建物を建設。アーネスト・コニャックが1928年に死去。1925年、ラ・サマリテーヌの売上が10億フランを突破。メンズとレディースのファッション、カーテン、インテリア、旅行用品、花や植物、書籍、楽器などの最新トレンドを提供するだけでなく、パティスリーやお菓子のカウンター、有名なワインセラー、フランス全土の最高級品を味わうことができる「フランスの産地」部門も設置された。パリジャンたちは、年間を通してこの店で行われる盛大なパレードやお祭りを楽しんでいる。1934年に詩人アンドレ・スアレスによって祝われた “ラ・サマール “は、誰もが知っており、愛している。

2001年 LVMHがサマリテーヌの株式55%を取得。

2005年 サマリテーヌが安全上の理由で閉鎖、パリ警察署が建物を必要基準に適合させないと判断したため。

2007年 – 2008年 

デパート、オフィス、社宅、ホテル、託児所を組み合わせた新しい複合施設の開発を目指し、パリ市と協議。旧百貨店を複合施設に建て替えることは、この場所の建築・装飾遺産を保護・強化する唯一の方法であり、同時に厳しい安全基準への適合を保証するものであった。

2009年 

日本の建築事務所サナアが、リヴォリ通りの新校舎を含む新生サマリテーヌの全体設計を依頼される。

2010年 LVMHがサマリテーヌの株式を100%取得。

2010年 – 2015年 

技術的な調査を実施し、政府の許可を得て、修復プロジェクトの予備工事を完了する。

2015年 – 2020年 

5つのプロジェクトパッケージすべてにおいて建設工事が実施された。

2021年 生まれ変わったサマリテーヌは、151周年に合わせて一般公開を再開した。

La Samaritaine(サマリテーヌ)るるぶ&more