海外の百貨店 その3~フランス

現在のフランス

新型コロナウィルスの感染防止対策としてフランスでは、1月31日(日)からパリ市内の売場面積2万㎡を超えるショッピングセンターやデパートが臨時休場中です。2021年2月7日(日)更新

エマニュエル・マクロン大統領は、現在休止中の施設の再開戦略を発表しました。フランスでは段階的に、正常な生活を取り戻せるようになります。それに伴い百貨店の営業再開も認められました。在日フランス大使館2021年5月10日

臨時休業中の店舗

– ギャラリー・ラファイエット オスマン店
– プランタン オスマン店
– ボン・マルシェ
– フォーラム・デ・アール(ショッピングセンター)
– BHV マレ店
– ボーグルネル(通りに面した店舗のみ営業可)(ショッピングセンター)

☆ギャラリー ラファイエット (Galeries Lafayette)

ファッションと流行品を扱うヨーロッパでも最大規模のデパート。パリ ・オスマン店は、エッフェル塔に次いでパリで2番目に訪問客が多い場所となっている。建物は、本館(化粧品、ジュエリー、婦人服、子供服などを販売)、紳士・食品館(紳士用品、食品を販売)、インテリア館(家具、家電、生活雑貨)の3棟から成り立つ。天井のステンドグラス・ドームを始め荘厳な内装は、パリの歴史的建造物に認定されている。クリスマスシーズンのショーウィンドー、夜間のライトアップも人気。

ギャラリー ラファイエット (Galeries Lafayette)の歴史

1893年 従兄弟関係のテオフィル・バデールとアルフォンス・カーンが、ラファイエット通りとショセ・ダンタン通りとの交差点に、流行品を扱う婦人小物の店をオープンさせた。店は、通りの名前と、横長の売り場のある店内のレイアウトから、「Aux Galeries Lafayette(ラファイエットにあるギャラリー式の店)」と呼ばれるようになる。

1896年 ラファイエット通り1番地の建物全体を買取る。その後も1903年にオスマン通りの38、40、42番地とショセ・ダンタン通り15番地の建物も買収。創業後数年は、「石造りの戦略」を適用。壁続きの建物を統合させて、大規模な建築を完成させた。

1907年 建築家ジョルジュ・シェダンヌに任せたオスマン通り最初の大規模改装工事が竣工。

1912年10月 ジョルジュ・シェダンヌの弟子であるフェルディアン・シャニュが工事を引き継ぎ、売り場面積が2倍となる旗艦店が完成。オープンセレモニーが行われた。

ルイ・マジョレルによる階段の手すりやバルコニーの美しい鉄製の囲いは、パリのオペラ座に発想を得たものであり、また、ガラス細工師ジャック・グリュベールによるネオビザンチン様式の彩色ガラスを使った高さ43メートに達する美しいクーポールは、ギャラリー・ラファイエットのシンボルとなった。

1919年 ジュール・ヴェドリーヌは、お客様に楽しんで頂くイベントに力を入れた。自らが乗った飛行機がデパートの屋根に着陸するイベントは、今でも語り継がれているほど有名で、ヴェドリーヌはパリの空を低空飛行したことで罰金を支払ったが、航空界初の違反者として後世に名を残すこととなった。

1922年 「大人と子供」のための家具、織物、カーペット、壁紙、陶器などの制作を手掛ける工芸アトリエ「 ラ・メトリーズ」を開設

1929年 金融恐慌にもかかわらず、オスマン通りに新たに店舗拡張工事を開始

1932年 大西洋横断定期船の内装を手がけた建築家ピエール・パトゥーが、ルネ・ラリックのボウウィンドウを用いて、この旗艦店を流行のアール・デコの波に乗せた。

1941年から1944年 ナチの占領下、一家は当店から引き離され、当店はパリ解放までヴィシー政権の管理下に置かれた。

旗艦店の近代化

1951年 ヨーロッパで最も長いエスカレーターが運転開始する。

1954年 「フランス・クリエーションフェスティバル」を開催。「低価格の醜悪品に対抗するお手頃価格の趣味の良い品」に賞が贈られた。

1953年5月 最初の外国店を開催「イタリアの精華」続き、1961年「USA」、1972年「アフリカ」、1974年「ソ連」、1995年「インドの顔」と続く。

1957年から1959年にかけて2階と3階を増築。

1958年10月4日 「またとない1日」が開催される。これが大成功を収め、翌年1959年10月から3日間に延長され、(3J)「3日間(3J)セール」となり、現在も続いている。

1969年 モガドール通りの向かい側に新しい店が誕生。服、雑貨、音楽に関する数種類の商品が一つのライフスタイルとしてまとめられる。続いて、ラファイエット2号館には、メンズファッションが集められるようになり、1990年にはラファイエット・グルメを追加。こうして、ギャラリー・ラファイエットは、ブティック、サービス、駐車場、地下鉄への直接のアクセスを提供する、最初の「都市施設センター」となった。

1980年 「ファッション・フェスティバル」を開催。1999年まで、著名なアートディレクターを招いて、ギャラリー・ラファイエットのためにデザイナーが制作した作品の中から最優秀のものを選び、表彰した。

2001年 宣伝にジャン=ポール・グードを起用

ラファイエット1号館、2号館、3号館

2001年 マークス・アンド・スペンサーのフランス国内全店を買収。

2004年 オスマン通りのマークス・アンド・スペンサーがラファイエット・メゾン館となる。以来、ギャラリー・ラファイエットは、オスマン通りに3つの建物を構えた。

2008年 文化遺産部を創設。(建築遺産と、閲覧可能な歴史的資料を大切に保存し、価値を高めることが目的)

2021年2月 フランス政府からの要請により。新型コロナウィルス感染防止のため、1月31日(日)より臨時休業中

2021年5月19日より 営業再開予定

2021年9月 古着に特化した売り場を開設。デパートとしては初の試みとなる。

ギャラリー ラファイエット (galeries lafayette)

ル・ボン・マルシェ(Le Bon Marché)

1852年創業のパリの老舗デパート。世界初のデパートと言われている。パリ左岸、サンジェルマンデプレ界隈に位置する。ファッションを中心とした本館と別館の食品館(La Grande Epicerie de Parisラ・グラン・エピスリー・ド・パリ)の2つから構成されている。食品館は厳選された食品が世界中から集められている。

ル・ボン・マルシェ(Le Bon Marché)の歴史

1838年 ヴィドー兄弟が設立した小売店(生地店)が始まり。ショーウィンドウを用いた商品展示、客が自由に出入りできる小売り形態の店だった。

1852年 ブシコー夫妻(アリスティッド・ブシコー、彼の妻マルグリット・ブシコー)が店を買し店舗改革を行う。バーゲンセールやチラシ広告、催し物など現在のデパートに見られる営業スタイルは全てこのデパートで始まった。

1869〜1887年 エッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェル(Gustave Eiffel)の設計により、豪華で巨大な店舗を建設した。ブシコー夫妻の経営は、社員に対する教育、福祉などでも新しい方式を採用した。社員持ち株制度や、退職金、年金、あるいは社員食堂などにも力を注いだ。

1923年 フードカウンター」をオープンし、デパートで初めて、お茶と高級ジャムを提供する。

1984年 LVMHグループが買収

1989年 「Au Bon Marché」から現在の「Le Bon Marché」に変更

2012年から2013年 大規模改装を実施

2015年 新しい靴売場がオープン

2017年 本館横に食品館「ラ・グランド・エピスリー・ド・パリ」がオープン

2021年2月 フランス政府からの要請により、新型コロナウィルス感染防止のため、1月31日(日)より臨時休業中

2021年5月19日より 営業再開予定

2022年 創立170年を迎える

Le Bon Marché

ボン・マルシェ百貨店 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

☆プランタン(Printemps)

フランスのパリに本店を置く有名デパート。ギャラリーラファイエットのすぐ近くにある。有名ブランド店が多く並び、世界最大級の広さを誇るコスメフロアが人気。プランタン・オム (メンズ館)、プランタン・メゾン (メゾン館)、プランタン・ボーテ (ビューティ館)から構成されている。

プランタン(Printemps)の歴史

1865年 ボン・マルシェ百貨店の元店員であったジュール・ジャリュゾが、「オ・プランタン」を開店

1868年 Printempsカタログを作成。多くに国がデパートを持っていない時代に、ジュール・ジャリュゾは通信販売を開発。

1870年 ジュール・ジャリュゾは、コミュニケーション・プロモーション能力に秀で、イベントを開催した。イベント初日の春3月21日には顧客全員にすみれの花束を提供し話題となる。

1874年 店内に2台のエレベーターを設置し話題となる。

1878年 パリで開催されるユニヴエキシビションに参加した初のデパートとなる。

香水、アクセサリー、紳士服、婦人靴などの販売を始める。

1881年 火災により店舗がほぼ焼失する。建築家ポール・セディーユのデザインで新店舗を再建する。

1882年 パリ全土で最も人気のある針子バルテル婦人がプランタンで創造的なワークショップを開始する。

1883年 パリ市より6年も先だって、トーマスエジソンによって開発されたばかりの電気を採用する。

1884年 オリジナルのブランド香水「エクストラプランタン」「パリプランタン」オリジナルブランドの婦人靴が発売される。

1907年 建築家ルネビネにさらに床面積の広い新店舗の建設を依頼する。

1912年 リゾート客のためにドーヴィルに夏の間店舗を開店させる。

1912年 有名な芸術家、職人であるルネ・ギレレによってプリマヴェーラアートワークショップを開設。当時の主要な芸術イベントにすべて参加した。その中でライナー「ノルマンディー」のショーを企画した。

1919年 第一次世界大戦後にプランタンが活気を取り戻す。「すべてのエレガントな女性は春(Printemps)の顧客である」をモットーに夢、贅沢、美しさを熱望する顧客の憧れの地となった。

1921年 再建したばかりの店舗が火事により焼失する。新しい店舗には自動消火ネットワークや難燃性ガラスが設置され、また、消火器やカーテンにまで工夫が施された。

1922年 子供向けのワークショップを開設。オリジナルの服、おもちゃ、アクセサリーなどを販売する。

1924年 新店舗が完成する。バレエやショー、コンサートなどを催し開店祝賀会を盛大に行った。

1930年 メンズのプレタポルテを発明する。

1953年 店舗の入り口に設置したマイク付きのテレビを通じて、来店者から質問や意見を募る画期的なサービスを開始する。

1958年 ウエディングサービスを開始する。

1933年 ピエールカルダンがプランタンに参入しブランド化された既製服を販売する。評判を呼び新規顧客の獲得につながる。

1962年 新オルリー空港、フランスのライナーに新店舗を開店する。

1964年 テラスにゲレンデを設置しスキー場をオープンする。パリでは65年ぶりの百貨店となるナシオンに店舗を開店し盛況となる、その後、この近辺に最初のショッピングセンター「パルリー2」をオープンさせる。

1968年 すべての店舗で使用可能で、特典などのサービス付きのクレジットカードを発行する。

1972年 ヴェリジーに「ヴェリジー2 ショッピングセンター」をオープン。

1921年の火災以降、オスマンドームの3185枚のオリジナルガラスパネルが完全に再組立てされる。

1973年 クリスマスショーウインドーが始まる。

1975年 ポール・セディーユ設計の建物と丸い屋根が歴史上の記念碑として登録される。

1978年 プレタポルテとクリエイターの新しいデザイナーが続々と登場し話題になる。クリスチャンオージャール、バーチャー、クレージュ、クリスチャンディオール、ルイフェロー、ジノキエッティなど、今に続くプランドもある。

1980年4月 日本のダイエーと提携「オ・プランタン・ジャポン」を設立(1986年まで)

1984年4月27日 日本、シンガポール、アメリカ、クアラルンプール、マレーシア、サウジアラビアなどに支店をオープン。日本には、東京、神戸、大阪、札幌にオープンする。東京では銀座プランタン開業。2016年12月31日まで営業。(1983年から2002年まではダイエーグループ、2002年から2016年までは読売グループが運営した。)

1991年 グッチの親会社ピノー・プランタン・ルドゥート (PPR、現在のケリング)に買収される。

1999年 ウエブカメラによるインターネット販売を開始する。

2006年 独REEFFと伊Borlettiのグループに売却される。

2008年 本店で「2008年パリ爆弾脅迫事件」が発生。

2014年 パリとマルセイユに店舗をオープンさせる。

2015年 150周年

2017年 1月末メンズ館リニューアル、5月メゾン館(プランタン・メゾン)リニューアル、7月にはプランタン・ボーテがリニューアルオープン 長期に渡った大規模なリニューアルが完成した。

2018年1月 本格的なフードフロア「Printemps du Goût プランタン・デュ・グー」が誕生

2019年 2021年にドーハ(カタール)とミラノ(イタリア)に直営店を開設する計画を発表した。

2020年11月 7店舗の閉店を発表。フランス全国に27軒あるグループのうち、4軒の「Printemps プランタン百貨店」(パリ13区のイタリー広場、ル・アーヴル、ストラスブール、メッス)と、ヤングカジュアルとスポーツ・ウェアを扱う「Citadium シタディウム」は、パリ市内の2店舗(シャンゼリゼの大型店、ナシオン店)と、トゥーロン店を閉店する予定。

2021年2月 フランス政府からの要請により、新型コロナウィルス感染防止のため、1月31日(日)より臨時休業中

2021年9月 古着売場開設。2週間前に開設したギャラリー・ラファイエットに比べるとバッグなどのファッションアクセサリーも含めて、高級志向が強い印象。

2021年5月19日より 営業再開予定

2022年9月 ニューヨークに初の店舗をオープンすると発表。同店は2024年春に開業の予定

2023年2月 傘下のBHVの売却に向けて、不動産開発のSGM社と独占交渉を開始したと発表した

Printemps Haussmann

プランタン銀座 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ル・ベー・アッシュ・ヴェー・マレ(Le BHV Marais)

1856年に創業したパリで2番目に古いデパート。パリの中心部マレ地区にあり、市庁舎前に位置する。有名ブランド店が並び、ファッション、コスメ、食品から、日曜大工用の道具や画材用のグッズまで、日常生活に必要なものが揃うデパート。BHVとは、雑貨屋を表す『Bazar de l’Hôtel de Ville』の略。

べー・アッシュ・ヴェー・マレ(本館)、べー・アッシュ・ヴェー・ロム(メンズ館)、べー・アッシュ・ヴェー・マレ・ラ・ニッシュ(ペット専門館)から構成される。ギャルリー・ラファイエット傘下の百貨店

ル・ベー・アッシュ・ヴェー・マレ(Le BHV Marais)の歴史

1856年 小物メーカーのフランソワ・ザビエルが開業。オ・ボン・マルシェに続いてパリで2番目のデパートとなる。

1991年 ギャラリー・ラファイエット傘下となる。

2013年 「Le Bazar de l’Hôtel de Ville」もしくは「BHV」と呼ばれてきたが、公式に「Le BHV Marais」へ変更。

2021年2月 フランス政府からの要請により、新型コロナウィルス感染防止のため、1月31日(日)より臨時休業中

2021年5月19日より 営業再開予定

L’ESSENTIEL+BHV+MARAIS_VFR+DIGITALE_2020.pdf

☆ラ・サマリテーヌ (La Samaritaine)

2005年に建物の老朽化によって閉鎖が決定し、長い間修復中となっていた。コロナ禍を経た2021年6月にリニューアルオープン。現在はデパートの他に高級ホテルや公共住宅、オフィスなどが入った複合施設となリ蘇った。ルーヴル美術館とノートルダム寺院の間にあるためパリの観光としても最高の立地にあるこのデパートは、パリ注目のスポットとして再び人気を集めている。

デパートの名前は1813年までポン・ヌフの上にあったサマリテーヌ給水塔(ポンプ塔)に由来している。

ラ・サマリテーヌ(La Samaritaine)の歴史

1870年 ネクタイ露天商のエルネスト・コニャック(Ernest Cognacq)は、ボン・マルシェの洋裁コーナーのトップ店員だったマリー=ルイース・ジェイ(Marie-Louise Jay)と結婚して、夫妻でサマリテーヌをオープンした。

1875年 デパートの売り上げは100万フランを超える。

1890年~1910年 デパート周辺の建物の買収に乗り出す。豊富な資金によって最先端の建築を取り入れたサマリテーヌはアール・ヌーヴォー様式の美しいデパートとなったが、当時のパリジャンの美意識にそぐわず、反対の声が多く上がった。

1917年 建築家のフランツ・ジュールダンはキャプシーヌ大通り25番地にラ・サマリテーヌの新館である高級店を建設するように依頼される。建物の隣には創業者エルネスト・コニャックが集めた18世紀美術を収蔵する美術館がオープン。夫妻はボン・マルシェの創設者ブシコー同様に社会活動を積極的に行い、多くの美術品を収集して誰もが無料で見られるように一般公開した。

1925年 建築家アンリ・ソヴァージュ (Henri Sauvage)の監督の下で当時流行だったアール・デコ様式の建設が開始。

1928年 エルネスト・コニャック亡くなる。

1933年 ギャラリー・ラファイエットとプランタンを超えるパリ最大の売上のデパートになる。

1981年 キャプシーヌ通りの店舗閉店

1990年代 デパートの経営が悪化

2001年 ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー(LVMHグループ)に買収される。

2005年 建物の老朽化によって安全性の問題から閉鎖が決定する。

2013年 レオス・カラックスの映画『ホーリー・モーターズ』の舞台になる。

2010年 ルイ・ヴィトンがサマリテーヌの株式を100%取得。リニューアルに向けて改修されることが決定する。

2020年10月 コロナウイルスの流行の中、ルイ・ヴィトンの2021春夏ウィメンズ・ファッションショーがサマリテーヌを舞台としてオンラインで開催された。

2021年6月 リニューアルオープンで19世紀当時の建物が蘇る。ポン・ヌフ館、ホテル「シュヴァル・ブラン」の館、リヴォリ館の3館からなる同店のうち、全面改装したリヴォリ館のデザインを手掛けたのは、日本人建築家である妹島和世と西沢立衛による建築ユニットSANAA。全体をガラスで覆った近未来的な外観で、その透明感とシンプルさはパリに溶け込み周囲の建物を映り込ませる工夫がなされている。

リニューアル後は、約600ブランドの店舗が入り、そのうち40ブランドはサマリテーヌ限定商品。化粧品売り場はヨーロッパ最大級の面積。北側のガラス張の建物ではライフスタイルブランドや若者向けのストリートウェアを中心に販売。5つ星ホテル「シュヴァル・ブラン」側にはギフトショップやVIPスペース、ディオールのカスタマイズスパ、屋外プール、レストランなどが入った。他、96戸の公共住宅、オフィス、デイケアセンター、託児所などが併設され、まさに近未来のライフスタイルのための複合施設となった。

パリラマ