渡辺大輔のデパート放浪記 - ペンを捨てよ、街へ出よう - (第46回 水戸編第6回)

汗が背中をぬらし始めたころに、目的の店が見えてきた。ホテルから歩いて40分かかっただろうか。ファサードの看板には堂々たる筆文字で「総本家松五郎」、その脇には「茨城スタミナラーメン」と大きく書かれた垂れ幕が構えている。開店までまだ20分ほどあるからか、私の他にお客らしき人の姿はなかった。
バッグからハンドタオルを取り出し、額の汗を拭う。そうしてから外観の写真を撮っていると、いつの間にか玄関ドアの前に数人の列ができていた。にわかに焦りの声が口から漏れたが、すぐに思い直す。私はこの店での作法を知らないのだから、一番前よりも、様子見のできる位置を確保した方がいい。間もなく、私の後ろに老夫婦が並んだ。

ものの5分ほどで、行列は12人に増える。作業着やラフな格好が多いのを見るに、地元の人々なのだろう。駐車場に入ってくる車を観察してみても、やはりほとんどが「水戸」のナンバープレートを付けている。そこへたまに「土浦」や「群馬」が交じるという程度だ。これぞソウルフードと呼ぶにふさわしい。
「久しぶりだねえ。ここ来るの、忘れてたね」
後ろの老夫婦が穏やかな口調で会話を始めた。
「あったかいのと冷たいの、どっちにする?」
京成百貨店の女性店員によると、スタミナラーメンには「ホット」と「冷やし」があるそうだ。ホットは温かいスープに熱々の餡が乗ったラーメンらしく、食べる前から味を想像しやすい。一方で冷やしにはスープがない。水で締めた冷たい麺の上に、熱々の餡を乗せたものだという。
「わたしは冷やしにしよ。もう寒くないしね」
婦人が夫の返事を待たずに話を続けた。
私は、女性店員の言葉は本当だったのだと独りうなずく。このちぐはぐにも思える冷たい麺と熱い餡の組み合わせこそが、水戸の人々にとっては定番なのだそうだ。

あと1分で開店だ。列は20人を超えていた。店の大きさから考えるに、全員は座れないかもしれない。こうなると、なぜだか4番目に位置取った責任を感じ始める。それは全くの出所不明で、せいぜい食券機の前でまごつかないようにするくらいしか果たしようがない。しかしこの土地の日常に紛れ込んだ者だからこそ、彼らの営みをできるだけ妨げないようにしようと考えた。
店員のはつらつとしたあいさつと共に店が開く。私の視線は前に並んだ彼らが食券を買う手つきに固定されていた。
先頭が冷やしを買う。2番目も冷やしを買った。やはりスタミナラーメンは冷やしを選ぶべきなのだ。そう確信して財布を開いた瞬間に、3番目、つまり私の前のお客がホットのボタンを押した。
ぐらつく。ここで告白すると、私はラーメンを構成する要素の中でスープが最も好きなのだ。油そばとかまぜそばとかは、自分の料理店では念入りな宣伝までして出すくせに、よその店ではほとんど食べたことがない。
やはりホットにしよう。こうして目の前にホットを選ぶ人がいるのだから、そちらを食べてもソウルフードを味わったことになるはずだ。財布の中の千円札に指を触れながら券売機に近づく。
——わたしは真冬でも「冷やし」です。
不意に女性店員の声が脳裏によみがえる。券売機は狼狽する私をにらみながら、ゆっくりと千円札を飲み込んでいった。
(続く)



