デパートのルネッサンスはどこにある? 2026年08月01日号-第143回 閉店ラッシュ続くデパート 「選ばれなくなった理由」

 本稿7月1日号では「デパートの存続要件」について議論した。ピーク時からほぼ半減し、毎年の様に閉店するデパートのニュースが、地方、都市圏問わず新聞の紙面を賑(にぎ)わす。今号では、引き続きこの課題を考えて行きたい。デパートが「選ばれなくなった理由」をだ。

敵は本当にユニクロなのか

 百貨店ビジネスが苦境に立たされた理由の一つとして、ファッション事業の売上ダウンが主要因とされる。もちろん、百貨店の稼ぎ頭は長きに渡りアパレル関連だったのは事実である。それがバブル崩壊やリーマン・ショックの後、日本人のファッションへの支出額イコールおしゃれへの意欲は徐々に冷え込んでいった。そしてコロナ過がとどめを刺した、というとちょっと出来すぎたストーリーになってしまうのだが。

 結論としてはこうだ。ユニクロに代表される、リーズナブル価格帯のアパレル企業の急成長により需要を奪われ、それまで百貨店売上の柱であったファッション衣料の存在価値が揺らいだ、という事だ。

 一つ注意しておきたいのは、この現象はかつてのダイエーやイトーヨーカドーといったいわゆる量販店(GMS)でも指摘されたコトであり、百貨店が初めて通る道という訳ではない。普段着はGMSでお出かけ着はデパートで調達する、という時代があったのだ。

用語解説GMS「General Merchandise Store(ゼネラルマーチャンダイズストア)」を省略した言葉であり、日本では「総合スーパー」と訳されている。具体的には、日常で必要とされる商品を、幅広く取り扱っている大規模な小売店ということだ。販売業態はセルフサービス方式をとる。量販店や百貨店は動員装置である食品で集客し、上層階のファッションで儲ける、という構造で商売をしていたが、食品専業のスーパーマーケットやディスカウンター、コンビニとの競争の中で、デパートでついでに衣料品を買うというパターンは廃(すたれ)ていった。アパレルも食品も専業化とカジュアル化(リーズナブル化?)が、同時併行で進んだのだ。

ユニクロ

真犯人は貧困

「おしゃれへの意欲」が冷え込んだ理由としては、前述した相次ぐ災害やコロナ過での外出禁止の影響は少なくない。

 昔で言うところの「出不精(で ぶしょう)」が、本格的なトレンドになってしまった訳だ。
 ニワトリか卵か、の様な話だが、ネット通販の隆盛が先か、前号でお伝えした酷暑での外出を厭い とう気持ちが先なのか。いずれにしても、お客様を只待ち受けるだけ、というデパートには、マイナス要因でしかない。

 但し筆者が名指しする真犯人は「失われた30年」だ。30年と言い続けて10年たつので、もはや「失われた40年」の方が正確かもしれないが。

 あえて簡単に言ってしまうと、可処分所得が上がらない、プラス、デパート以外の選択肢が増えた、という構造だろう。デパートでファッションを買わなくても、「おしゃれ」で居ることは出来るという若者が大多数を占める様になったのだ。

 そして、複合的なマイナス要素の最後はカジュアル化だ。

カジュアル化

 しまむら、ユニクロ、無印良品に加え「プチプラ」と言われるH&MやZARAも市民権を得、作業着だったワークマンも、その機能性を生かし、いつのまにか「おしゃれ」ウェアに成り上がったのだ。そして昨今、本当におしゃれな人は古着を着ているらしい。ネット通販は言うまでもない。

 結果として、コスパ、タイパ、カジュアル化を信奉する若者が、デパートに来る理由はなくなったのだ。それでも来店モチベーションとして「デパ地下を除けば」というエクスキューズは残ってはいる。

 最初にカジュアル化の洗礼を受けたのは、かつては百貨店でしか買えなかった「スーツ」だ。それが、ひと昔前、新入社員が青山、アオキ、はるやま、コナカで安価なスーツを求める様になり、百貨店の紳士服が打撃を受けた。という話だったのだ。

 が、その紳士服専門店も1992年がピークなので、30年以上前のことになる。更に、コロナ過のリモートワーク推進とカジュアル化の波により、ピーク時は年間1350万着売れたスーツは70%減の400万着まで落ち込んだ。百貨店も専門店も共倒れだ。

気候変動と災厄

 昨今、暑い時期が1年の半分ほどを占めるようになり、リアル店舗での「買い回り」は徐々にしんどさを増し、オーバーではなくもはや「苦行」の域に達した。消費者の外出機会は減る一方だ。以前は「百貨店散策」や「パトロール」と称して、複数のデパートを巡る事が珍しくなかったが、コロナ禍以降は外出を控える傾向が強まった。

 そして一番の問題は災厄が落ち着いた後も「暑すぎる夏」によって、客足はかつての水準には戻らない事だ。もちろんネット通販に切り替える消費者も増えた。

2番じゃダメですか?

 買回りを嫌う消費者は、エリアで最も強い百貨店に集まる傾向が強い。「地域1番店」のデパートには客が集まるが、競合する2番手以下には足を向けないのだ。この好例(悪い例か?)が、名古屋駅で顕在化した。駅直結のJR名古屋髙島屋が需要を吸い上げ、老舗の名鉄百貨店が閉店する一因となった、と分析する関係者も多い。筆者もそう思う。

 地方都市で先行した地域一強化の流れにより、そのエリアにデパートが1店舗しか残らない状況が生まれている。そうした事が今では都心でも例外ではなくなり、その1店舗さえ存続が危うくなりつつある。

 デパートが1店舗しかない県は10を超え(15県?)、それは正に4つの「デパートゼロ県」の予備軍である訳だ。デパートゼロ県は島根県、山形県、徳島県、岐阜県だが、いずれも2020年以降に閉店しており、今後もその数が増加するのは火を見るより明らかだ。問題はそれが徐々に、なのか急激に、なのかだ。

廃(すた)れた慣習

SALE告知

 消費動向の変化は、前号で取り上げた「脱セール」の流れからも判るように、デパートMDカレンダーの改変を余儀なくさせた。そして、期末処分セール以上に典型的な例が中元歳暮を含めた「贈答」であろう。

 正月やお盆といった年中行事での贈答需要は長く百貨店の売上を支えてきた。日本が誇った「伝統的な贈答文化」というものがあったのだ。しかし、年賀状の慣行が薄れたように、贈答の慣習を続ける家庭は減る一方だ。そもそも我が国では「家庭」や「親戚」自体が減少しているのだ。少子化とともに。

 外来のクリスマスやバレンタインにしても同様だ。残った年中行事は何だろう。例えば、百貨店が行うハロウィン企画は、どこか「無理やり感」が漂う。担当者が無理して若者に合わせようとしているからだろうか。

 正月の初売り(福袋市)やクリスマス等、昔は百貨店で季節の節目を感じる消費慣習が数多くあったが、それは徐々に薄れて来た。前号でお伝えした様に伝統の「バーゲンセール」でさえも、企画見直しの対象になっているのだ。

福袋はギャンブル

 福袋は縁起物的な意味合いがあり、長らく百貨店の年始の集客に貢献してきたが、現代の賢い消費者は、何が入っているかわからない袋に、お金を出すことを「是」としない。

 良く考えれば当たり前の事だ、欲しいモノだって中々買えないのに「要らないモノ」に金も時間も割くのは非合理の極みだからだ。

 ではなぜ「福袋」は売れたのか? これは神社で「おみくじ」をひく感覚に近いのではないだろうか。福引や宝くじの様に「運試し」なのだ。正月くらいギャンブル(賭け事)をしても「バチは当たらない」という訳だ。神様がついているのだから、免罪符になるだろう、という事の様だ。

 因みに「免罪符」はキリスト教カトリックから来ているので、神様違いなのだが。

 繰り返しになるが、昔は金も時間もあったし、そもそも心に余裕があったのだ。何だか身もふたもない話で恐縮だが。筆者は「昔は良かった」的な話は好きではないので、この辺りでやめておく。

働き方改革

 そして、「初売り」と言いながら、元日から2~3日は営業を見合わせるデパートも増えた。しかしこの現象は買い手側の都合だけではなく、働き方改革という売り手側の労働環境の改善も影響していることは明らかである。

 半世紀の時を経て、家族で過ごす(外出しない)「静かなお正月」という日本の伝統が蘇(よみがえ)ったのだ。これは良い事なのではないだろうか。売り手(働き手= 労働者)というのは同時に、買い手(消費者)でもあるからだ。

 人が遊び、買い物をし、楽しむ時にそれを待ち構え、手助けするのがデパートでは?と思う一方「休める時は休もうよ」というのが、現代なのだから。

敵はEC

 さて、場所(立地)や人手(人件費)に縛られるデパートに対し、ECはそうした制約から基本的にフリーである。更に手軽に価格や内容を見比べる事が可能とくれば、もはやデパートには勝ち目はない。時間の制約も、デパートに比べてはるかに少ない。

 その上、楽天などのECのポイント還元に魅力を感じる消費者も少なくない。百貨店各社は自前のカード会員制に注力して来たが、今では「ポイント経済圏」に押され気味なのは否めない。

 支持基盤として一般消費者の大多数を失った現代のデパートは、選択と集中の矛先を富裕層やインバウンドに絞っている。いや、絞らざるを得ないのだ。そのため、デパートは「誰もが行ける」が「誰もが行きたい」場所ではなくなったのだ。

それともイオン

イオンモール

 一方で、ネットを除くリアル店舗においては「敵はイオンモール」だ。もちろんイオン以外の郊外型の大規模商業施設はすべてそうだ。ららぽーとや、西日本であればゆめタウンであろう。

 百貨店並みのテナントを集めていたり、シネコン(映画館)やレジャー施設を併設することにより、かつての百貨店のような、ファミリーが丸一日過ごせる場所として支持を広げてきた。車のアクセスのしやすさは言うまでもない。地方であれば、県をまたいで「遠征」する強者、失礼「熱心な顧客」もいる。

 レジャーの選択肢が広がって、百貨店は「とりあえず行ってみる」という選択肢の上位ではなくなった。コスパだけでなくタイパを重んじる世代にとって、目的のはっきりしない「デパート散策」は割に合わないからだ。

低コスパだから

 ハイファッションは買わないとしても、家族で上層階のレストラン街で食事をして、デパ地下で高級食材を買うのは、中々の可処分所得を必要とする。有名百貨店は都心の一等地にあるので、地価が高い。なのでちょっと休憩するにもお金のかからないスペースはほぼない。※カード利用上位顧客向けのラウンジでさえ、土日は行列必至だ。

 ファミリーがもう少しリーズナブルに楽しめるのはイオンの様な巨大モールなのだ。お父さんお母さんたちにとって、郊外以外に「逃げ場」がないのだ。大型モールは家族最大公約数的な選択肢なのだ。もちろんモールに行けるファミリーは貧困層ではない。逆に高所得層ファミリーでも、目的が限られるデパートツアーは、そもそも選択肢に入らない事も多いだろう。

自業自得

 再び「身もふたもない」話で恐縮だが、客を選別したのはデパート自身だ。もはや普通の人(庶民とは言わない)は百貨店に行かない。特に都心のデパートは外国人観光客と、自称「富裕層」だけの館となったからだ。高額品の購入や「ショッピングという行為にステータスを求める人」だけが行く場所なのだ。

 であれば、本稿のタイトル「選ばれなくなった理由」は大間違いなのだ。デパートが客を「選んでいる」のだからだ。デパートは「ウチで買える人だけ来てください」と言っているのだ。デパートは小売りの王様とは聞いたことがあるが、正に「殿様商売」ではないか。

 これは、都心の大手百貨店だけではない。地方デパートでもそういう傾向は強いのだ。だからデパートの閉店ラッシュは止まらない。

集客装置

 早々に結論が出てしまったが、「生き残るデパート」に必要なのは「新たな客」を呼ぶ「工夫や仕掛け」なのだ。端的に言えば、デパ地下グルメと北海道物産展以外の「集客装置」が必要なのだ。

 それに気づいたデパートがアニメやキャラクターといったIPコンテンツをテーマにした企画をラインナップするのはある意味当然であろう。

用語解説「IPコンテンツ」知的財産権で保護された創作物やキャラクターなどの価値あるコンテンツを指す。

IP(Intellectual Property、知的財産)とは、人間の創作活動によって生み出されたアイデアや作品で、法的に保護される財産的価値を持つもの。具体例としては、アニメ、マンガ、ゲーム、映画、音楽、キャラクター、デザインなどが挙げられる。

小さなおもちゃの国

地方デパートで開催されている「小さなおもちゃの国

 そして、我田引水の誹(そし)りを免れないことは承知で記す。本紙:デパート新聞社(東日本大震災雇用・教育・健康支援機構)が地方デパートで開催している「小さなおもちゃの国」は、ガチャマシンの中に入っているカプセルトイを取り出し、お客様自身が中身を確認
して購入できる、というイベントだ。

 その企画の盛況ぶりは、本紙1面で毎号お伝えしているのでここには記さない。
 誤解なきよう最初にお伝えしたいのは「欲しいカプセルが出るまで、1回500円のガチャマシンを何回も回したら、定価の何倍もの金額が必要」なのだから「マシンはダメ」という事ではない。「何が出るか判らないから楽しい」というお客様は、そうしてください、という事なのだ。

 但し、「お目当てのカプセルだけを購入したい」というお客様のニーズに答えるイベントがあっても良いのではないか?というのが我々のスタンスだ。

選ばれる理由

 そして東日本大震災雇用・教育・健康支援機構は、この地方デパートで開催する「小さなおもちゃの国」のイベントを通じて、被災地への支援を行っている。

 大事なのは、カプセルトイを購入するお客様も、開催スペースを開催してくれたデパートも、皆が一緒になって被災地支援の募金活動をしている、という事だ。

 「小さなおもちゃの国」の開催によって、その地方デパートが「お客様に選んでもらえる理由」が一つでも増えれば良い、と我々は考えている。そして、地方デパートCA(カウンターアタック=逆襲)プロジェクトの一環として、今後もこうした活動を続けていく所存だ。