デパートのルネッサンスはどこにある? 2026年06月15日号-第140回 巨星落つ セブン&アイ 鈴木敏文元会長

カリスマ逝去

 国内初の本格的なコンビニチェーン「セブンイレブン」を生み出したセブン&アイ・ホールディングス(HD)名誉顧問の鈴木敏文(すずき・としふみ)さんが5月18日、心不全で死去した。93歳だった。葬儀は近親者で営む。後日、お別れの会を開く予定。

来歴

 長野県出身。中央大経済学部を卒業後、東京出版販売(現トーハン)を経て、1963年にヨーカ堂(現イトーヨーカ堂)に入社。1992年に創業者の伊藤雅俊社長(当時)が総会屋への現金供与事件で辞任したことを受け、副社長から社長に昇格した。2003年からはヨーカ堂とセブン―イレブン・ジャパンの会長兼最高経営責任者(CEO)として、グループ全体の指揮を執った。

 2005年9月には持ち株会社のセブン&アイHDを設立し、会長兼CEOに就任。翌2006年6月には、そごうや西武百貨店を傘下に持つミレニアムリテイリング(当時)を完全子会社化した。日本チェーンストア協会会長や経団連副会長なども歴任した。

コンビニの生みの親

 イトーヨーカ堂で店舗開発を担当していた1970年代初頭、中小規模の小売店を活性化させる手段として、米国で急成長していたコンビニに着目。社内外の「時期尚早」との反対を押し切り、米サウスランド社と提携し、1973年にヨークセブン(現セブン―イレブン・ジャパン)を設立。自らも出資し、専務に就いた。

 1974年5月に東京・豊洲に1号店を出店。24時間営業に加え、販売時点情報管理(POS)システムを使って客の好みの変化に合わせた品ぞろえを追求し、弁当や総菜を強みとするコンビニのスタイルを構築した。セブンの国内店舗数は現在約2万2千店に上る。

第一線を退く

 2016年5月にセブン―イレブン・ジャパンの社長人事をめぐる混乱の責任を取り、セブン&アイHDの会長を退いた。創業者である伊藤雅俊名誉会長との確執があった。詳しくは後述する。

 2016年のインタビューでは、「みんなが反対することをやれば必ず成功する。みんなが反対するのは、我々しか思いつかないことだから、チャンスだ」。5月18日に93歳で亡くなったセブン&アイ・ホールディングス名誉顧問の鈴木敏文氏は、よくそう語っていたという。その言葉通り、周囲の反対を押し切ってコンビニを生み、日本最大級のチェーンストアに育て上げた。

イトーヨーカドー

 ヨーカ堂(現イトーヨーカ堂)に中途入社したのは1963年。テレビ番組のプロダクションを立ち上げるためのスポンサー探しをしていたところ、ヨーカ堂から「うちに来てやればいい」と言われたという。しかし入社後にその話は立ち消えに。「正直、失敗したと思った」と振り返っている。

 もともと流通業に関心はなく、ヨーカ堂では広報や人事、販売促進などを手がけた。転機は新規事業の開発を担当した70年代だ。米国で見かけたセブン―イレブンを国内で展開すべきだと考えた。だが当時はダイエーや西友といった大型店舗の全盛期であり、巨艦主義の時代だ。コンビニの様な小型店は「うまくいくはずがない」と社内でも反対の声が大きかった。

セブンイレブン

 しかし鈴木氏は反対を押し切り、セブンを展開する米サウスランド社との提携交渉をまとめ、1973年にヨークセブン(現セブン―イレブン・ジャパン)を設立。日本の実情に合わせた運営ノウハウを一からつくり、1974年、東京都江東区の酒店を改装してセブン―イレブン1号店を誕生させた。

 その後も新たな仕組みを次々と導入し、コンビニの成長を支えた。商品の売れ行きを一品ごとに把握する「単品管理」や、一定の地域に集中的に出店して認知度や物流効率を上げる「ドミナント戦略」などだ。

多角化

 前述した様に、2006年6月には、そごうや西武百貨店を傘下に持つミレニアムリテイリング(当時)を完全子会社化した。拙著でも触れているが、この時鈴木氏は小売業界全体の事を考え「火中の栗を拾った」のだと思う。只、その後百貨店とのシナジー効果が生み出せたのか、と問われれば、退任する2016年までの10年間では難しかったのだろう、と言わざるを得ない。

 銀行業(アイワイバンク→セブン銀行)への参入やプライベートブランド「セブンプレミアム」の立ち上げなども、反対意見がある中で推し進めた。そんな即断即決のワンマン経営と徹底した消費者目線で、セブン&アイHDを巨大流通グループに押し上げた。

退任劇

 セブン&アイHD会長だった2016年、自らが主導したセブン―イレン・ジャパンの社長人事が取締役会で否決され、責任を取る形で会長を退任した。ただ鈴木氏はその時点ですでに83歳。のちに「正直(退任の)いいきっかけだった」とも振り返った。

 亡くなったセブン&アイの鈴木敏文元会長は、「コンビニの父」に止まらず「小売りの神様」とも崇(あが)められた。本紙デパート新聞としても、その死を悼み、謹んで哀悼の意を表したい。

 ここで、本紙2023年5月1日号の本コラムを以下、再掲載する。
--- 前略--- ここで少しだけ、セブン&アイ(イトーヨーカ堂とセブンイレブン)の来歴を振り返ってみよう。それは、2人のカリスマ経営者、伊藤雅俊と鈴木敏文の物語だ。

突然の訃報

 2023年3月10日、イトーヨーカ堂の創業者で、総合スーパーやコンビニエンスストアなどを傘下に持つセブン&アイ・ホールディングスの伊藤雅俊名誉会長が98歳で亡くなった。

 「精神的な支柱を失い、社内は悲しみに包まれている」と、イトーヨーカ堂幹部。判でした様なコメントだが、他に言い様がないのも事実だ。

 伊藤氏は1958年、家業の洋品店をもとにイトーヨーカ堂の前身となる衣料品店「ヨーカ堂」を東京・足立区に設立して社長に就任。その後、アメリカのスーパーを参考に、品揃えを食品だけでなく生活用品にまで拡大した「総合スーパー事業」に乗り出し、社名を「イトー・ヨーカ堂」に改めた。

栄枯盛衰

 1973年5月にファミリーレストランの「デニーズ」を、そして同年11月に盟友である鈴木氏の力を借り、コンビニエンスストア「セブンイレブン」を設立するなど幅広い事業展開に着手し、イトーヨーカ堂を国内有数の流通グループである「セブン&アイ・ホールディングス」に成長させていった。

 ところが1992年に総会屋への利益供与事件が起き、責任をとって社長を辞任。2005年にセブン&アイの名誉会長になり経営の一線から退いた。名実共に経営は鈴木氏にバトンタッチされたものの、イトーヨーカ堂の従業員たちにとっては創業者として精神的な支柱であり続けた。

 今ではイオンと双璧をなす国内有数の流通グループとなったセブン&アイだが、当初は先達の足元にも及ばなかった、という。というのも中内功氏率いるダイエーや、堤清二氏率いるセゾングループなどが先んじて巨大な流通グループを全国展開しており、当時のイトーヨーカ堂は関東のスーパーチェーンに過ぎなかったからだ。

生き残ったセブン

 ところが1990年代、バブル崩壊を皮切りに、ダイエーやセゾンといったガリバー達の足元が崩れ始める。ダイエーは産業再生機構の支援を受けた後、丸紅を経て、イオングループの傘下に下った。

 言うまでもないが、セゾングループは、西武百貨店が民事再生法の適用を受け、そごうと経営統合し、そごう・西武となったが、最終的にはセブン&アイの傘下に入った。この買収を主導したのが、セブン&アイ・ホールディングスの現名誉顧問、当時のCEO「小売の神様」鈴木敏文氏である。

 30年の時を経て、ダイエーとセゾンの時代からイオンとセブンの時代となったのだが、歴史は繰り返すのが世の習いだ。前号でお伝えした井坂社長への退任要求など、そごう・西武の売却の成否によっては、大きな混乱は必至だ。新たな統合や、小売業界全体の再々編に繋がるかもしれない。

 セブン&アイは生き残ったとしても、近い将来、もはや百貨店も量販店も切り離した、コンビニ専業となり、アイ(イトーヨーカ堂)が抜けた只のセブン(イレブン)になるのかもしれないのだ。

再掲載は以上。

残る桜

 「昔は中内(㓛)さんや、堤(清二)さんたちに小僧扱いされたもんだよ。それがみんなダメになって、うちだけが残った」本コラムでも取り上げたが、セブン&アイ・ホールディングスで会長兼CEOを務めていた当時、鈴木敏文氏は、流通業界の興亡についてこのように振り返ることが多かった、という。

 繰り返しになるが、かつてのイトーヨーカ堂は、関東の小さなスーパーのチェーンとの位置づけだった。価格破壊を打ち出して流通業界の革命児と呼ばれた中内氏が率いていたダイエーや、堤氏が率い西武百貨店を中心に西友やパルコ、ファミリーマートなどを擁していたセゾングループなど、巨大流通グループが存在していたからだ。

 そのときの思いがあったからだろう、アメリカのコンビニエンスストアを日本に持ち込んで、国内初の本格的なコンビニチェーン「セブンイレブン」を生み出した後、日本最大の流通グループにまで育て上げた鈴木氏は「時代や経済環境の変化に対応してきた結果だ」と語った。

社会インフラ

 鈴木氏はコンビニを「社会インフラ」へと育て上げたコンビニの父とも言うべき存在だ。今では店頭の定番となったおにぎりや温かいおでんなど、消費者のニーズを掘り起こしてヒットを飛ばした。2001年2月期にはチェーン全店売上高が2兆円を突破し、当時のダイエーを抜いて国内小売業のトップとなった。

 筆者個人の経験としては、ファミマやローソンでなく、わざわざセブンを探して通った経験がある。それもセブンカフェのためだけにだ。当然スタバよりコスパに優れ、他の2店より明らかに美味いからだ。「開いてて良かった」という秀逸なキャッチフレーズが示す様に、コンビニは単なる利便性を通り越して、電気や水道や道路の様な「社会に欠かせないインフラ」の役割を担ってくれた。

他業種参入

 2001年にアイワイバンク(現セブン銀行)を設立し、銀行業にも参入。店舗内に現金自動預け払い機(ATM)を設置した。2007年にはプライベートブランド(PB)「セブンプレミアム」を発売。安さが売りであるPB商品と一線を画す「プチ贅沢」で消費者の胃袋を掴み、セブンの成長を加速させた。現在の国内店舗数は業界最多の2万店を超える。

 グループの拡大路線を推し進め、2006年には当時の西武百貨店とそごうを傘下に持つミレニアムリテイリング(現そごう・西武)を完全子会社化。祖業であるイトーヨーカ堂も含め、コンビニを核とする巨大流通企業を率いた。

 一方、カリスマ経営者として長年君臨した結果、それを独断専行と見る向きもあり、社内の反発を招くことに繋がったことは否めない。

ターニングポイント

 2016年、鈴木氏が主導し、当時セブン―イレブン・ジャパン社長だった井阪隆一氏を退任させる人事案を取締役会に提案。これが否決され、鈴木氏は責任を取る形でセブン&アイHDの会長兼最高経営責任者(CEO)を辞任し、経営の一線を退いた。

 その後、井阪体制となったセブンは苦戦が目立っている。特に中核のコンビニ以外のスーパー百貨店事業で不振が続き、傘下のそごう・西武は2023年に米投資ファンドに売却。モノ言う株主の圧力もあり、ヨーカ堂やセブン銀行を含む非コンビニ事業も2025年に売却し、セブン&アイはコンビニ専業へと舵を切っている。

散る桜 

 人口減により成長余力が減り、国内コンビニ事業は2026年2月期まで2期連続の減益となった。市場からはセブンの成長性に厳しい目が向けられ、株価は10年前の4700円台から足元では2000円前後に低迷したままだ。

 セブンは北米で大型買収を行うなど海外事業に活路を見いだそうとしているが、インフレにより消費者の節約志向が強まる中、成長への道筋は見通せない。

 そんな中、結果的に鈴木氏をグループから追放した張本人である井阪隆一氏も1年前にセブンを去っている。

 筆者はこの2016年に鈴木氏を辞任に追い込んだ「お家騒動」による経営交代が、セブン&アイのその後の運命を大きく左右し、最終的にはグループを買収の危機にさらす窮地に追い込むことになったと考えている。現状のセブン&アイの不振の根源は、ひとつは鈴木氏が2016年の段階で認識していた井阪氏のグループ全体の経営者としての資質不足であり、もう一つは井阪氏が果たした「下剋上」の結果、創業家である伊藤家と、その祖業に対して忖度(そんたく)せざるを得ない状況を作り出してしまったからなのだ。

※この辺りの詳しい経緯は、前出の2023年5月号を含めこの機会に、拙著「セブン&アイはなぜ池袋西武を売ってしまったのだろう」を是非再読して貰いたい。
https://www.departshinbun.com/archives/22799

マーケティングとイノベーション 

 鈴木時代のセブンイレブンは、マーケティングを基本に据え、常に顧客ニーズを先取りする商品戦略を打ち出してきた。それと同時に、常に長期的な観点から、新たな事業戦略を打ち、コンビニビジネスにおけるイノベーションをリードし続けてきた。

 バリエーションある弁当のラインナップ、コンビニスイーツの拡充、さらにはセブンカフェなどの新たな展開等々、業界をリードしてきた鈴木のマーケティング戦略。

 イノベーション面では、前述した野村総研と組んでだPOSシステムの開発は業界を一変させ、またATM専用のセブン銀行の立ち上げなど、コンビニは「小売における革命そのもの」だったのだ。

 鈴木氏の辞任から10年で、セブンは先駆者でも革命家でもなくなってしまった。

 現状のセブンの状況を見れば、一強時代の「終わりの始まり」では、と考えるのは筆者の勇み足であろうか。いや、すでに10年前からそれは進行していた、ということなのだろう。残念ながら。

追悼コメント

 ここでコンビニ業界のライバルたちからの惜しむ声を紹介する。

 ファミリーマートの小谷建夫社長「日本にコンビニという新たな文化を根付かせ、人々のライフスタイルを劇的に変革し、社会インフラへと育て上げられた流通業界の偉大な先駆者だった」

 ローソンの竹増貞信社長「業界や社会について話をした際に、厳しくも本質を突く指摘と同業の垣根を越えた回答をいただいた。業界発展への強い思いと、厳しくも温かな人柄を感じた」

 ライバルたちはこと振り返り、別れを惜しんだ。

 業界からは概ね「鈴木氏はコンビニだけでなく、銀行や百貨店など社会や産業のあり方を考えて挑戦を続け、小売業界にイノベーション(革新)を起こした」との評価がある一方、「今のセブンは足元のコンビニ事業が冴えない。消費者が何を求めているのかを捉えた新たな革新が必要だ」と現状のセブンへの辛口の指摘もあった。

 それだけ鈴木氏が偉大な先駆者だったからであろうが。

蛇足

 この記事を執筆していた6月3日に、とんでもないニュースが飛び込んで来た。

 セブン― イレブン・ジャパンが、「セブンカフェ」で販売するアイスコーヒー用プラスチックカップのリサイクル(再利用)費用を、全国約2万の加盟店から過大徴収していたことが判ったのだ。2024年度までの6年間で総額十数億円に上る模様で、セブン&アイは来月7月までの返金を目指す、と発表した。阿久津知洋社長は5月に開いた社内会議で誤りを認め、経営責任の明確化と処分を検討している事を、複数の関係者が明らかにした。

 カリスマ経営者として名を馳せた鈴木敏文氏の追悼特集の最後に、筆者の愛好するセブンカフェをめぐる不祥事を伝えるのは、正直不本意ではある。こういうケースでは、昔から「故人も草葉の陰で悲しんでいることでしょう」というフレーズが使われるが、鈴木氏は
このニュースを「怒り心頭」で聞いたのでは、と筆者は思うのだ。