デパートのルネッサンスはどこにある? 2026年06月01日号-第139 回 捨てる神あれば拾う神あり 閉店連鎖の中、例外も



「東武宇都宮百貨店 大田原店」2026年8月31日に閉店
本紙では、4月1日号、15日号、そして5月1日号の本コラムにおいて、西武渋谷店が9月30日で閉店することをお伝えしてきた。池袋西武のリニューアルの件もそうだが、業界メディアとして大きく取り上げるのは当然だと思うからだ。
もちろん、デパート新聞は業界紙だが、都心の大手百貨店のお抱え新聞ではない。どちらかと言えばインバウンドの波が及ばない、地方デパートを応援するスタンスを取って来たつもりだ。遅ればせながら、この夏閉店する地方デパートのニュースを取り上げたい。
株式会社東武宇都宮百貨店は昨年11月1日、「東武宇都宮百貨店 大田原店」の営業を、2026年8月31日(月)をもって終了させ、館を閉店すると発表した。
東武宇都宮百貨店大田原店は、上野百貨店大田原店の跡地に2002年9月にオープン。売場面積は約1万2200平方メートルで、2005年度にはピークとなる売上高59億円を記録するも、その後は低迷を続けた。昨年度の売上高は37億円で、過去最低を記録していた。
尚、閉店の理由については、建物の賃貸借の契約が2027年2月末で満了するためとしている。渋谷西武の閉店でも同じ文言を聞いたが、契約満了は「きっかけ」に過ぎない事は誰もが承知だ。「売上が低迷し、経営が行き詰ったから」とは言い難いだろうが。
住民かネット民か
この閉店発表のニュースを受け、ネット上では様々な声が交錯した。
「それほど市場規模もない大田原で、今までよく頑張ったなと思います。宇都宮店の建替えもしないといけない時期ですし、経営判断としては仕方ないかな? 場所的には良い所ので、早く後釜が決まると良いですね。」と業界通の様な論評がある一方、「しばらく行ってないなー。子供が巣立つ前は、おもちゃとか、肉を買いに行っていたけど、特に用事は無いしね。」「ワンランク上の食材を買うにはちょうどよかったのに…」等々。更に、「この価高でみんな生活防衛に入っているからね。ネットで安く買えるのに、百貨店は厳しいだろうね。コンビニも似たようなモンだけど、すぐ近くにあるからね。」と言った意見や、「百貨店は全国の物産展とか駅弁企画くらいかな。今度、何が入るのだろう。立地も良いし、駐車場も広いし。とにかく魅力のある会社が入って欲しいな。」と様々だ。
「百貨店がどんどんなくなっていく。 郊外に広大な敷地を持ち、駐車場を備えるショッピングモールに客を奪われ、百貨店のみならず、個人経営の店も無くなり、駅前はシャッター通りと化し、駅前ほど衰退している町が全国に非常に多い。クルマが無いと生活ができない地方が増える一方である。」とイオンなどの郊外モール業態と比較分析までしてくれる「専門家」もいる。
「賃貸借契約が満了との事だが、やはり売上の低迷が理由であろう。地方の百貨店はどこも厳しい状況である。継続するメリットはなく、赤字幅は増える一方なので、閉店は妥当な判断である。」と、ここまで来ると、本コラムの代筆をお願いしたくなる。
「時代の流れですかね。行くにしても1階の飲食フロアと、たまにニトリしか行かなかったからな・・・ 決まったことは仕方ないとして跡地はどう活用するんだろ?ドンキになるかな?」といった具合だ。
購読者諸氏は、今までお伝えしてきた駅前や街の中心エリアにある老舗デパートの閉店とは、いささか反応が異なることにお気づきだろう。惜しむ声や懐かしむ声よりも、後はどうなるのだろう、という現実的な、良く言えば「未来志向」の発言が多いと感じられる。これはなぜなのだろう。
地方と郊外
東武宇都宮百貨店大田原店は、旧上野百貨店時代も含めれば27年の歴史に幕を閉じることになるのだが、栃木県大田原市の国道400号線沿いにある、いわゆるロードサイド型百貨店だ。従来から地元の駅前や繁華街にあるデパートとは違う位置づけであることも、住民の感想に反映されている様に思えるのだ。
前述した様に、東武宇都宮百貨店大田原店は上野百貨店から2002年に大田原東武に代わって24年間営業してきた。そうした経緯も地元民が「懐かしむ対象」としてはいささか短いのかもしれない。「思い出の数が少なすぎて」と言ったらロマンチックではあるが。
地方都市の百貨店閉店を懐かしむ人たちは、「自分が子供の時は・・・」でコメントが始まり、親に連れられて屋上遊園地やお子様ランチを食べたお好み食堂の情景が想起されるのが常だから。
まったくステレオタイプの極みだが、もしかしたら取材する(我々の)側が、そうした「良くあるエピソード」をピックアップしているせいかも、と思ったりもするのだ。印象操作とは言えないが、ちょっとわだかまりも感じる。そしてもっと言えば「記事を読む側」もそうした声を聴きたいのかもしれない。筆者の考えすぎだろうか。
上野百貨店から東武百貨店へ
大田原東武は元々宇都宮市に本店を置く上野百貨店の大田原店として1999年4月に開店。2000年12月に上野百貨店が自己破産したのち、同社のメインバンクであった足利銀行が差し押さえ、2002年9月に東武百貨店グループの東武宇都宮百貨店が出店した、という経緯だ。
売場は1階から3階までで、店舗面積は12,248平方メートル。建物は足利銀行グループの足利不動産が所有する。地元の銀行が主導した典型的な例の様に見える。館内では、百貨店の直営売場で百貨店商材を扱っているものの、ニトリ、ユザワヤ、北野エースなどがテナントとして出店。郊外立地のため、広い無料駐車場を備えている。
そして敷地が広大であるから、立体ではなく平面駐車場なのだ。これは利用する顧客の側からは非常に大きなメリットだ。できれば立体の狭い斜路を登って、空きスペースを探したりするストレスは回避したいのがクルマ民の性(さが)なのだから。クルマ民はこうした理由で、あえて駅前を避けてロードサイドでの買物を選択するのだ。
郊外型ショッピングセンター業態に近いとは言え、競争の激化などから売上は最盛期よりも低下し、近年の年間売上はおおよそ30億円台で推移していた。
建物は足利銀行系
大田原東武の閉店は2027年2月に賃貸契約が満了するためとしている。
建物などを足利銀行系が所有しているため、閉店後は比較的早期に何らかの動きがあると思われるが、2025年11月の閉店発表の時点では、後継テナントなど詳細については示されていない。冒頭の住民コメントにあった様に、ドンキや食品スーパーの可能性が高いのではないだろうか。結果として、東武宇都宮百貨店の店舗は、宇都宮本店、栃木店(栃木市役所店)の2店舗となった。前述した上野百貨店が2 0 0 0 年に破綻し、1997年3月にオープンしたパルコも、2019年の5月に閉店。中心部にあった福田屋は、いち早く郊外に活路を見出しロードサイド型の大型ショッピングモール「FKD」として生き永らえた。
東武宇都宮駅に位置する東武百貨店は、電鉄系ながら老舗亡き後、栃木県唯一のデパートになったのだ。
※栃木市役所店も東武百貨店なのでこう呼んで差支えないだろう。
選べるガチャガチャ
さて、東武宇都宮百貨店 大田原店閉店のニュースについては、我がデパート新聞社としても、一種複雑な思いを抱えている。実は閉店する8月31日まで、本紙主宰の「選べるガチャガチャランド」の催事が決まっているからだ。
購読者諸氏は良くご存知の様に、本紙は震災機構による復興支援活動の一環でもあるこの事業を、地方デパートの活性化策として、20拠点以上で開催をしている。
カプセルトイを選びに立ち寄っていただき、その購入により復興支援活動に参加いただくお客様はもちろんだが、百貨店で働くスタッフの方々からも「こんなに若いお客様に来店いただくなんて久しぶりだ」とか、「レジ列が長くなってしまい、やむなく入場規制をした」等という「うれしい悲鳴」を聞いて来た。
一方デパート新聞では、全国各所で相次ぐ百貨店の閉店について、多くの紙面を割いて来た。苦しい環境の中で孤軍奮闘する地方デパートをカプセルトイ催事で応援してきたつもりなのだ。
それでも、「選べるガチャガチャランド」の開催店舗が閉店する、というシチュエーションは全く想像していなかったのだ。正直ショックな出来事であるが、ここは「有終の美を飾る」というとおこがましいが、最後のカウントダウンを一緒に盛り上げて行きたいと思う。
それが「デパートのルネッサンス」をミッションに掲げる本紙の役目だと思うからだ。
※尚、8月31日の閉店ドキュメントについては、本紙も立ち会って詳細にお伝えしたいと思っている。もちろん可能であればだが・・・
京都府京都市の四条通にある京都地場百貨店「藤井大丸(フジイダイマル)」が2026年5月6日をもって一旦閉店した。
拾う神あり
さて、一方インバウンドに沸く京都からは、閉店ではなく、百貨店のリニューアルというグッドニュースが飛び込んで来た。京都の古豪、藤井大丸が、閉店ではなく「改装して、百貨店を再開する」というのだ。リニューアル事態はビジネスとしてはごく普通の事ではあるが、わが百貨店業界では、残念ながら珍しいトピックとなってしまう。
本紙で頻繁にお伝えしている西武百貨店池袋本店の改装のニュースは「面積の半減」というマイナス面もあるため、前向きな「リニューアル」とはとらえにくい。西武渋谷店の閉店のニュースも絡んでは、とても「明るいニュース」とは言えないのだ。
江戸時代に創業

藤井大丸は1870年に現在の滋賀県大津市で呉服業として創業、1891年に現在の京都府京都市に「藤井大丸呉服店」を開業。1912年にレンガ造地上3階建の本店を現在の場所に開業し、1935年に百貨店業態となった。元々は呉服の行商だったという。
その後、1969年までに段階的な増築工事を実施、地上8階地下2階建で店舗面積15237平方メートルという現在の建物となった。
藤井大丸は近隣に同業百貨店「高島屋京都店」「大丸京都店」が立ち並ぶ四条通にあり、1972年7月にハンバーガーショップ「マクドナルド」関西1号店を出店させたのは有名な話だ。その後も時代が求めるファッションブランドを導入するなど、若者を意識したトレンド重視の館造りをしてきた。
因みにマックの1号店が銀座三越にオープンしたのは1971年7月であったのは皆様ご存知の通りだ。わずか1年後に大阪ではなく京都に出店というのも中々面白い。というか、藤井大丸が企業として「常に新しいモノを取り入れる」スタンスを持っていた、ということの証左であろう。
ファッション特化
髙島屋、大丸といった、大手グループの百貨店に囲まれて、都心とは言え独立系の藤井大丸が生き残る道を、常に模索していたのではないか、と筆者は思うのだ。
不易流行(ふえきりゅうこう)とでも言うのだろうか、京都人は古い物を大事にするだけでなく、新しもの好きだ、ということを判っていたのかもしれない。
1990年代の阪神淡路大震災を背景とした平成不況の時代には、前述したライバルたち(従来型のデパート)との差別化をより鮮明に推し進めた。1994年にはデパ地下を明治屋産業の系列である高級食品スーパー「タベルト」に転換。1996年にはセレクトショップである「ユナイテッドアローズ」や「アダムエロペ」といった京都初のブランドを揃え全館リニューアルを推進した。今考えれば、トレンドを重視したファッションビル化の先駆けでもあったのだ。
藤井大丸は高感度ファッション特化型百貨店として、業界内での知名度を高めた一方、現店舗は開業から半世紀以上経過するなど老朽化が著しく、2025年に本館建替えて再開発する方針を発表するに至ったのだという。2026年2月には地階「タベルト」を閉店しイベントスペースに転換し、2026年5月6日の本館閉店までに各フロアで「藤井大丸の歴史とあゆみ展」「広告ポスターアーカイブ展」といった催事企画を開催するなど、閉店準備は粛々と進められた。
藤井健志社長
藤井大丸本館閉店式典において、同社創業家出身の藤井健志代表取締役社長は「四条河原町界隈、京都の街の賑わいが損なわることがないよう、近隣で、路面で、様々な事業を継続して参ります。
(中略)京都の皆様にこれまで以上の新しさ、楽しさ、オシャレさ、いろんな要素を新たに詰め込んで、さらにパワーアップしてこの場所に戻ってくる予定です。」とコメントしている。
藤井大丸は2026年5月6日をもって本館を一時休業し、2030年度中のリニューアルオープンを目指している、という。4年間の休業が長いのか短いのかは筆者には判らないが・・・まぁ、京都の客は「執念深い」じゃなかった「大事な事は忘れない」から、2030年なんてあっと言う間かもしれないが。
ルネッサンス?
新宿小田急や渋谷東急の例を挙げるまでもなく、百貨店を閉店し、改装して、また百貨店を再開する、というのは昨今あまり耳にしない。名古屋の名鉄に至っては、百貨店の解体工事事態が頓挫する状態なのだ。
本紙「デパート新聞」の本コラム「デパートのルネッサンスはどこにある?」としては、大変稀有(けう)な例として、藤井大丸の再興(ルネッサンス)を、諸手を挙げて歓迎したい。ファッション特化型の特殊な百貨店であり、五十貨店とか三十貨店ではないかと、揶揄(やゆ)されたとしてもだ。

デパート新聞編集長


