渋谷西武閉店は「セゾンの死」なのか?



そごう・西武の旗艦店であり、グループの象徴でもある池袋西武は、半身となりながらも、かろうじて生きながらえた。だが、渋谷西武の閉店は若者文化を標榜したセゾングループの「第二の死」を意味するのではないだろうか。
前号(4月1日号)で速報としてお伝えした通り、そごう・西武は3月25日、百貨店西武渋谷店を本年9月30日で閉店すると発表した。周辺エリアの再開発を巡り、店舗の土地と建物を所有する地権者と賃貸借契約の継続で合意できなかったためだ。若者文化の象徴だった渋谷の発展を担ってきた同店は58年で歴史の幕を下ろす、と。
※揶揄するつもりはないが、西武が渋谷の発展を担っていたのは20年以上昔の事であろう、と思う。
西武渋谷店は1968年4月開業。旧セゾングループの渋谷におけるエリア開発の起点として池袋店とともに主力店のひとつだったが、近年は赤字が続いていた。2024年7月に賃貸借契約終了と明け渡しの通知を受け、営業継続を目指して交渉していたが、最終的には今回の発表となってしまったのだ。
閉館対象となるのは食料品売場と化粧品などが入る「A館」と、衣料品や雑貨を扱うテナントがメインの「B館」、駐車場の「パーキング館」の3館だ。自社所有の「ロフト館」と無印良品のある「モヴィーダ館」は営業を続ける見込みだ。閉店の対象になるA、B、パーキングの3館は渋谷のど真ん中に位置し、店舗面積合計は約3万2000平方メートルという規模となる。
西武渋谷店の業績ピークだった1990年には、A館、B館、パーキング館、ロフト館、シード館(現モヴィーダ館)の5館で売上高(取扱高)967億円を誇っていた。直近の2025年度は5館で400億円とほぼ最盛期から半減した形だ。
近年はA館、B館、P館の収支で20億〜30億円の赤字が続いていた、という。そごう・西武は、勤務するスタッフ(契約社員も含め計230人)の雇用は継続し、社内で配置転換する旨も発表した。
そごう・西武は、渋谷の閉店により全国で9店舗に減り、都内は池袋店のみとなる。発表同日、取締役 執行役員社長の田口広人氏は報道関係向けの資料で、閉店に至った経緯を説明した後「これまで長年にわたる西武渋谷店のご愛顧に心より感謝申し上げます。」とコメントを残した。
渋谷から百貨店が消える



西武渋谷店は、渋谷駅のスクランブル交差点の近くで58年にわたって営業してきた。井の頭通りを挟んでA館とB館が並ぶ同店は、1968年4月に渋谷駅前にオープンし、その後のセゾングループによる渋谷の街づくりの起点になった事は、百貨店業界で知らない人はいないだろう。渋谷では再開発によって2020年に東急東横店、2023年に東急本店が相次いで閉店しており、西武渋谷店の撤退によって渋谷から百貨店はなくなる。
※丸井のモディはテナントビルなので。
地権者2社とそごう・西武は、20年近くにわたって再開発の方向性ついて話し合いを重ねてきた。2024年7月に地権者からそごう・西武に再開発計画について通知があり、翌25年8月には「2026年9月1日から工事に入る予定」と伝えられていた、という。
池袋西武も
そごう・西武は渋谷店の存続を模索してきたが、旗艦店である西武池袋本店の大規模改装など大型プロジェクトに目処がついたこともあり、収益性も鑑みて撤退を決断した、という。
が、池袋の目処がついた、と言うが、2025年夏までの予定だった池袋西武の改装は、2026年が明けても工事は続き、地下2階の食品も生鮮と酒のゾーンは未だ「改装中」のままだ。以下西武池袋店ホームページから抜粋する。
※誠に勝手ながら、店内改装工事のため、【地下2階】生鮮・酒売場は2025年4月19日(土)から当面の間休業しております。というので、実際はほぼ1年間閉まったままなのだ。
地下2階 生鮮・酒休業のご案内
地下2階デパチカ(生鮮・酒)は、2026年春以降オープン予定です。くわしくは、決まり次第ホームページにてお知らせいたします。お客さまには大変ご不便ご迷惑をおかけいたしますが、何とぞご理解いただきますようお願い申しあげます。
※失礼!話が逸れた。渋谷に話を戻そう。筆者が言えるのは「計画というのは中々予定通り行かないモノだ」ということだ。
「若者の街」「ファッションの街」
そう呼ばれるのは、渋谷西武が先導的な役割を果たしたからだ。
特にファッションにおいては文字通り「一時代を築いた」。1970年代に編集売場を通じて当時の若手デザイナーのパトロン(後見)的役割を果たした。そして海外ブランドについても、いち早くパリに社員を派遣し、渋谷西武が国内販売の先頭を走っていたのは事実だ。
日本のデザイナーを育て、海外ブランドを導入し、渋谷を「若者ファッションの街」たらしめたのだ。
ファッションブランドとそのデザイナーや若手のクリエイターたちのインキュベーションの場であり、コミュニケーションの場でもあったのだ。
渋谷西武での成功を受けて、セゾングループ(当時は西武流通グループ)は1973年に渋谷パルコを開業する。西武渋谷店から渋谷パルコに至る坂道(当時は区役所通りと呼ばれた)は「公園通り」と命名された。
西武セゾンはこの一帯に雑貨店「ロフト」、ファッションのシード館、劇場(西武劇場はのちにパルコ劇場に名称変更)、映画館(シネヴィヴァン)、ライブハウス(クラブクワトロ)、レコードCDショップ(WAVE)、書店(リブロ)、ギャラリーなどグループの施設が軒を連ね、若者の流行発信地へと発展させた。
消える「セゾン文化」
渋谷の「にぎわい」をけん引してきた西武渋谷店が閉店することにより、かつて若者をひきつけた「セゾンカルチャー」の拠点がなくなり「若者の流行や文化の発信地として時代を先取りしていた渋谷の街の個性が薄れつつある」と、現状を憂う れう声も聞こえる。
もちろん主に60代以上の人からだが・・・
とはいうものの、前述した様に渋谷はもう20年ほど前から良くも悪くも「東急化した街」となっていたコトは認めなくてはいけないだろう。「西武vs東急」戦争などと煽ってみても、既に勝敗はついているのだ。理由は簡単だ。2001年にセゾングループが解体してしまったからだ。結果としてこの四半世紀は東急の独壇場であったわけだ。
筆者はどうしても「西武寄り」の話が多くなってしまうが、渋谷をファッションだけでなく、芸術文化の街として育てて来たのは東急グループも同様だ。古くは五島プラネタリウムが東急文化会館にあり、ビルが現在のヒカリエに代わっても東急シアターOrb(オーブ)をはじめ、今もビル内にホールやギャラリーを集積している。
かつて百貨店があった東急本店裏には複合劇場施設「ぶんかむらBunkamura」を造り、西武とは一線を画したオーセンティック路線で観客を呼び寄せた。
※尚、同館は東急本店跡の建て替え工事により、オーチャードホールを除き休館している。
※西武贔び い き屓の筆者が3年半前に記した本コラム2022年9月1号をちょっと長いけど引用する。
淘汰続く百貨店 渋谷と東急
7月15日号の本欄で、都心でも百貨店の閉店が続いている事を報じた。
日本一の繁華街である新宿を始め、池袋、渋谷でも百貨店という小売業種の見直しが進んでいる。
池袋マルイは丁度1年前の(2021年)8月末に閉店し、小田急百貨店新宿店は建て替えのため、(2022年)10月1日に新宿本館の営業を終了する。小田急は現在の業容( 百貨店) が新ビルで復活するかは未定、としている。
以前「東急を交えた渋谷の変遷を語ると紙面が尽きてしまう。」と記したが、今号で取り上げてみたい。
進む渋谷の再東急化
渋谷の東急百貨店本店は、立川髙島屋同様、2023年の1月末の閉店を発表している。東急本店は、高級住宅街である松濤を背景に、富裕層の集客には定評があった。以下少し詳しく解説する。
東京を起点とする私鉄の中で、失礼ながら西武、東武、京急、京成は論外として、小田急、京王を抑えて、その沿線開発(ブランド化と言っても良い)の手腕では、やはり東急に一日の長がある。
近年の渋谷駅周辺の再開発は、イコール東急グループによる、渋谷の街の「再東急化」と言っても間違いではないだろう。
しかし、それは百貨店という業種業態を単純に継承することではなかった。東急グループが「渋谷の盟主」として実施した「100年に一度」の再開発により、東横デパートは消滅したからだ。10年前の渋谷ヒカリエ(2012年4月))を皮切りに、ストリーム(2018年9月)、スクランブルスクエア(2019年11月)、フクラス(同年12月)と次々にSCビル( 商業施設)を建て替え、文字通り渋谷の駅を包囲していった。
それでも百貨店という業種は復活せず、東急本店の百貨店MDも継承される可能性は低い様だ。
東急本店の変貌
東急、L・キャタルトン・リアルエステート(LCRE)、東急百貨店の3社は、2023年1月31日に営業を終了する東京・渋谷の東急百貨店本店を、新しい大型複合施設に再開発する。プロジェクト名は「渋谷アッパー・ウエスト・プロジェクト」。27年度(28年3月)に完工予定。
地下4階~地上36階で、高さ約165メートルのビルに建て替え、隣接する東急グループの複合文化施設「ぶんかむら」(地下2階~地上8階)を含め、敷地面積は1万3675平方メートル、建物の延べ床面積は11万7000平方メートルとなる。
後背の高級住宅地、渋谷・松濤地区の特性などを踏まえ「洗練されたライフスタイルを提案する」商業店舗と「ハイクオリティーな都市型居住を実現する」賃貸レジデンス、「ワールドクラス」のラグジュアリーホテルを主体に構成する。
※ LCRE はLVMHグループの不動産開発投資会社。
ホテルやエンターテインメントと融合しつつ、東急本店に出店していたハイブランドの拠点は、LVMH グループを軸に、後継施設に引き継がれると思われる。但しそれが、我々の知っている「百貨店」と同じ器( 施設) なのかは、新宿小田急同様今のところ不明だ。
新宿池袋と渋谷
新宿には老舗大手の伊勢丹と髙島屋に加え、新宿駅を私鉄の起点としている小田急、京王が百貨店を構える。池袋は三越、丸井の撤退後、西武と東武が文字通り「東西」に分かれて、覇を競っている。そんな中で渋谷は( 西武はあるものの)、東急1強の街であった。もちろん、百貨店業態にとっては、という前提つきではあるが。※注 気づいた方は中々の流通の通だ。池袋店は閉店したものの、新宿と渋谷ではマルイが現役だ。健在ではなく現役と言ったのは、渋谷マルイも既に建て替えに向けた「閉店セール」に突入しているからだ。加えて、テナントビルであるルミネやパルコや109といった業態の方が、マルイのMDに近い、というのが顧客の印象ではないだろうか。自社運営区画の比率次第であるが。
前述した様に、丸井グループは、運営する商業施設「渋谷マルイ」を8月28日で休業すると発表した。ビル建て替えのためで、跡地には地下2階、地上9階の木造建て商業施設を建設、2026年に開業予定という。東急本店跡地より1年早い竣工となる予定だ。
渋谷ファッション
渋谷の歴史は、パルコ、丸井といった「ファッションビル」が当時(80年代))の「DCブーム」の時流に乗り、渋谷をすっかり「若者の街」に変えてしまった。東急は本店よりも駅近寄りに「109」や「ワンオーナイン」を作ってこれに対抗した。
皮肉な事に( いや、担当者の思惑通りかもしれないが)109はパルコやマルイ以上に時流に乗ってしまい、果ては「ギャル文化」や「カリスマ店員」という、インフルエンサーまで生み出した。今のインスタグラマーの先駆けとも言えるが、結果的に、新たな渋谷文化を作ってしまったのだ。
この辺の話は、別途、本が一冊書けてしまう。これくらいにしておこう。
90年代、渋谷センター街の若者化( 荒廃と言ったら言い過ぎか) を一番苦々しく思っていたのは東急百貨店である。しかし、その若者化の防波堤であるはずの109が起こした「マルキューブーム」は、渋谷のギャル化を増長させてしまったのだ。
東急本店に向かう上顧客( 富裕層) は、109と渋谷センター街に「たむろする」若者に行く手を阻まれ、次第に東急本店から足が遠のいていった。彼らは(もちろん彼女らも)二度とスクランブル交差点を渡ることはなかった。
百貨店の寿命
世紀が変わり、ギャルブームが落ち着いて10年後の2012年に、前述した渋谷ヒカリエを皮切りに、東急による東急のための「渋谷」作りが再スタートを切った。
1980年代から現代に至る、半世紀にわたる渋谷と若者ファッションの歴史は、裏を返せば、渋谷における百貨店の興亡史でもある。
大変興味深いと同時に、街の開発は開発者サイドの思惑通りには行かない、という好例とも思える。何故ならそこには当然、顧客=消費者が介在するからだ。
渋谷は、百貨店という商売の限界と、果てはその終焉までをも見せてくれる。ターミナル駅とは言っても渋谷は新宿、池袋とも、銀座、横浜とも違う。そして、商業施設としての百貨店の寿命まで考えさせられる。不思議な街だ。
長い引用になってしまったが、西武、東急のみならず、丸井も含めた渋谷の百貨店とSCの興亡史がざっとご理解いただけたのではないかと思う。であるから、今回の渋谷西武の閉店は、「セゾンの二度目の死」であると同時に、一時代を築いた渋谷という街の終焉ではないものの、大きな転換点を迎えている事だけは確かだと思う。
幸いにして、1973年に開業し 2019年にビルの建て替え含め、全面リニューアルに成功した渋谷パルコは今も健在であり、年商500億を超えてパルコの一番店となった。だからこそ、団塊ジュニア世代の我々から見たら、渋谷駅周辺の東急王国化を、渋谷の街にとって「是」とは思わないのだ。
住宅街ならいざ知らず、繁華街の要件は安心安全だけではないはずだ。新宿の様な「いかがわしさ」まで行かずとも、雑多な刺激と多様性を渋谷に求めてしまうのは、Z世代の若者も同じなのではないだろうか?
購読者諸氏はどう思われるだろうか?
※このテーマは筆者の来歴もあり、おざなりには出来ない、次号も引き続きお伝えしたい。

デパート新聞編集長



